伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その3

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120307/p1 の続き。

あたしはみかんを剥きながら、部屋を見渡す。


この部屋は、北側が扉、南側に窓、東西には窓や扉等はなくただの壁。東側は本棚で埋め尽くされている。数学、物理、化学、生物学、・・・いろいろな本が並んでいる。この人の専門はなんだろう?まだあんまり把握できていない。「過去に起こった現象を数理的に解析する」のが、あたしの現在の理解。数値シュミレーションはしているようだけど、具体的な物を使った実験は基本的にしない。正確に言うと、先生や先輩達は遊びでいろいろ変な実験をしているけど、それを学会で発表したり論文にしたりはしていないようだ。


そういえば「遊びで研究するのが一番健全だよ」と先生が以前言っていた。


「恋人のためのとか、家族のためとか、社会のためとか、国のためとか、経済発展のため、地球環境のため、人類のためとか、就職のためとか、健康のためとか、復讐のためのとか、神さまのためとか、お金のためとか、地位・名誉のためとか、(略)、そういう理由で研究するより、遊びで研究するのが一番良いよ」という主張だ。


動機が強烈である故に、頑張ることができる場合もある。たしかにそういうのも大事。でも、その目的のために目が曇ってしまう時がある。「成果を必ず出さなくてはいけない」事が、視野を狭めることもあるとか。「そういうので、駄目になってしまった研究者を何人も知っている」ということらしい。


ただ、先生が具体例としてあげた科学者達は、十分に有名で実績もあるように思えた。先生は、一般的な価値基準ではないところで人を判断しているのかもしれない。選択と集中が時に大事なことはある。でも、その「選択」はどういう基準でなされるものなんだろうか?


遊びでやっていたものを、周りが崇め奉り、本人も勘違いして自分は凄い研究者だと思い込んでしまう場合もあるらしい。そして堕落する。「遊びを遊びとして極めていけばもっとすばらしい成果になっただろうに」と。いらないものを意識してしまうと、人間はうまく行動ができなくなることがあるとか。


その後、トップダウン型の研究費配分についての毎度の愚痴が始まったのであたしは聞き流した。

「その4」http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120309/p1 に続く