伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その11 

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120318/p1 の続き
新しいところはあんまりないです。

「それでだね」と先生が言ったところで、あたしの意識が戻ってくる。また別のことを考えていたらしい。


「…conclusion(結論)に関しては、もう少し再構成が必要ではあるが、まあ、必要な項目はこれで足りるだろう」と先生。


あれ。いつの間にか結論?何か、他にもたくさんの事を言っていたような気もするが、途中であたしの頭は聴くのを拒否したようた。オーバーフローかも。これ以降が記憶に残っているのは、先生が恐ろしいことを言い出したからだ。


「きちんと論文になったら、是非とも有名雑誌、例えば"Falling Love Affairs (FLA)"に投稿しようよ。"Phenomenological Research of Loves (PRL)"や、"Nature -love technology-"とかも良いかも」と先生は喜々として語った。こんな目をキラキラさせた先生を見るのは初めてで、なんかいろいろな意味で眩しい。


有名な雑誌は・・・。いやいや、無理でしょ、こんな適当なレポートをそんな有名な雑誌に載せるのはさ。


そして、いろいろな紆余曲折があったものの、けっきょくあたしはレポートを論文としてまとめることになったのだ。



論文を書くにあたって、先生にいろいろアドバイスをもらった。そして時間はかかったものの投稿までこぎつけた。さて投稿したのだけれど。思った通り、この論文が世に出るまでもの凄く時間がかかった。先ほど述べた有名雑誌は全て、reject または放置をくらう。


「面白い結果ではあるが、general interest(「一般的興味」と言う意味かな?)ではない」とか。「既に似たような結果がある」とか、定番のreject(不採用)文章。こいつら、絶対読んでいないんじゃないか?と思わせる掲載お断り文章が目白押しだった。


こういうふうに無視に近い扱いを受けると、最初は乗り気ではなかったあたしも、早くこれを世に出したいと思うようになった。まあ、人様に見せるためにさんざん苦労したから、その苦労が報われたいとささやかながら思うようになったのだ。あくまでも有名雑誌に拘る先生をなんとか説得し、ちょっと(?)マイナーな雑誌に出すという妥協をすることにした。


その、なんとか投稿したところが"Abnormal Nature of Humanity"という、ローカルかつマイナー雑誌である。


マイナー雑誌なのに(失礼)、5人も査読者がいた。ありがたいことに、5人全員が、早期の出版を進めてくれた。もちろん細かい修正ポイントはいくつも指摘されたけれど。


「この論文誌が消えることはあってもこの論文は不朽であろう」とか「この論文に報告された内容の経済効果は計り知れない」とか「人類は新たなる問題を発見した」とか「この研究成果を世に知らしめることにより、10万人規模の雇用が発生する」とか「論文を読んで涙が出たのは、18年と3ヶ月ぶりだとか」とか、あまりにも大げさなものや荒唐無稽な評が多くて、これは褒め殺しならぬ、褒め褒め大殺戮だなと思った。


もう少し内容に踏み込んだコメントとしては、
「男性の拒絶の言葉が回文で、それが500字を超えていることなどは、特筆に値する」とか「女性の多重入れ子構造の"だじゃれ"を使った引き留め行為は、見ていて切なくなり泣けた」とか「あれだけ真摯に言葉をぶつけ合っている二人は何にもわかり合えていない究極のすれちがいぷっりは凄い」とか「お互いに好きとか愛しているとか言っているのに、それにお互いだけはどうしても気がつけないで、不安な気持ちになり、さらに言葉を練って相手にぶつけるけど、それは、どんどん遠くに離れていくのと一緒。愛の滑稽さを表している」とかまあ、あたしが頑張っている点についても一応見てくれていたようで少し安心した。


妙に解析方法について、詳しく突っ込んだ査読者もいて、これはとても勉強になった。「有限個で一応の解は出たけど、無限の時はどうするのか?」とか批判的なだけではなく、有意義な提案をしてくれてありがたかった。「べき関数か、指数関数的減衰かという解釈だけど、それは指数関数とべき関数の積では解釈できないのか」という指摘もあった。これが、あたしの研究テーマをさらに進める事になるのだが、それはまた別の話である。


査読という行為の中に、創造的でかつ教育的なことをする人もいる。それを初めて知った。「(まったく関係ないけど)査読者の論文を引用しろ」とか、つまんないことに難癖付けたり、故意に査読を遅らせたりとか、査読行為にそういう悪いイメージを持っていた過去のあたしに対して、現在のあたしは猛省を促したい。


そして、科学への真摯な想いをあたしは感じた。学術にたいする誠実さと言い換えても良い。それは、それを体験できただけで、あたしは生きていた価値があったって思うくらいものだった。(先生からは感じなかったのかというと、身近にいると駄目な面もたくさん見てしまうから・・・。駄目人間の仲間として共感できる部分はたくさんある。同志といっても過言ではない、とか言うと過言である。尊敬できる部分もないわけではない。念のため)


別にこれをみんなに分かって欲しいと思っているわけじゃない。とにかく、あたしはそれを知って安心したのだ。世界に、こんな面白いことを考えている人達が数人いるだけでも、この世界は生きるに値する。

「その12」 http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120321/p3 に続く。