‘口の中’に‘舌’はある?

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20080502でのタイトルですが、元ネタは下記です。


張儀」(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%84%80

張儀は若い頃、蘇秦と共に鬼谷子に学び、その後諸国を遊説したが、中々受け入れてもらえず、楚の大臣に従って宴会に出た時には窃盗の疑いをかけられ袋叩きにあったことまである。傷だらけの張儀は妻に対し「舌はまだついているか?」と聞き、ついていると返答されると「舌さえあれば十分だ。」と答えたと言う。

そもそも「舌はまだついているか?」って変な質問ですよね。だって、ついていなかったら聞けないのだから。「なんて愚かなことを聞いているんだ?」って意味合いもあります。表層的には、馬鹿げた質問でしょうね。でも、もう少し深く考えることもできます。

彼にとっては、舌というのは、自らの知性を表出するための手段であり、例えるなら、武器と言うか戦うための道具です。それがあれば、彼は戦うことができます。


何かを変えるための手段を持っているにもかかわらず、「変えることができない」と思うことが人にはあると思います。この日のタイトルは、有効な手段がないために戦えないと思っている人に対して、「戦う手段はあるのでは?」と自問して欲しいからかもしれません。これは、私自身に対する言葉でもあるかもしれませんね。