27歳未満は読まないでおくれ。
「自分を信じて」って言葉が使われる状況ってどういう状況だろうね?
たぶん、困難に打ち勝たなくてはいけない状況だろう。
勝つか負けるか五分五分くらい。
勝てば多くのものを得られるし、負ければ多くのものを失う。
そんな状況だろう。
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「自分を信じて」って言う言葉の内実をもう少し考えてみる。
今までの自分自身の軌跡を思い出してみよう。
なぜこの目的を選んだんだっけ?
その目的を選んだことに後悔はない?
その目的は、自身にとって今でもとっても大事な事だって言えるよね?
自分の努力を思い返してみよう。
がんばったこともある。でも、怠けたことももある。
努力はゼロではないし、少なくない自分の人生の時間を費やしたのも確かだよね。
その分だけでも勝てる見込みがないわけではない。
つまり、
過去を振り返り、
自身の目的の正しさを信じて、
その目的を達成するための自身の努力を信じる、ってこと。
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「自分を信じて」というのは、不安に打ち勝つために言う言葉でもある。
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努力が足りなくて、今回は勝てないかもしれない。
でも、努力した分だけ、今回の戦いを通して、
いろいろなことを学べるはずだよね。
次の糧になるかもしれないよね。
努力していない人は、負けてもたいして学ぶことはできない。
今までの自分を信じて、全ての能力を開放できるように。
全ての感覚を開放して、情報を収集し、次の戦いに備えることができるように。
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誰しも、苦しみや悲しみはできるだけ避けたいし、嬉しさや快楽を得たいと思う。
体がそういうふうにできているから。
それは言い換えると、「生きなければいけない」ということ。
生きるとは、「何かと戦うこと」であり、「何かに抗うこと」であり、
そして「何かを創ること」でもある。
「何か」は人それぞれ。
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自分を信じてという言葉は、あるときは空虚だ。
信じられる目的がないのに、自分を信じてなんて言葉は意味がない。
目的に符合する努力が日々の生活になければ、その言葉は空虚だ。
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信じられる自分になるように努力する機会は誰にでも与えられている。
自ら選んだ目的が、
自らにとって適切であるとという手ごたえは
試行錯誤の中から掴み取ることができるだろう。
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このように考えていくと、最初の前提は正しくないかもしれない。
困難に陥った時だけのために、「自分を信じて」という言葉はあるのではない。
日々の生活があるから、「自分を信じて」という言葉が意味を持つ。困った状況に陥ることを避けるために、あるいは困難に打ち勝つために、
日々自分を信じて進む、ってことなのかも。
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「『自分を信じる』って言葉を使う資格を私は持っている」って、自信を持って言えないけど、
いつかは言えるように、まず、目の前の課題をきちんと片付けようって思うのでした。