モノ探しの法則

昔あったはずのものだけど、どこにあるかわからない。まず、一番ありそうなところを探してみる。しかし、見つからない。

部屋の中を引き出しとか収納ボックスとかいろいろ開けてみる。部屋の散らかり方がマックスになる。でも見つからない。

一番最初に探したところをもう一度探す。→見つかる。


結論。今、私の部屋はとっても散らかっている。


こんな文章がコンピュータの中に保存されていたので久しぶりに公開。

Small Happiness in A Trash Box

私の部屋はすぐ散らかる。散らかすのではなく(意図的でないのだからもちろんそうだ)、散らかるのだ。几帳面な私はいつも部屋を清潔にしておきたいから、こまめに部屋は片付けている(もちろん「几帳面」、「清潔」、「こまめ」や「片付いた状態」の定義は人と多少違うだろう。そういう感覚の差は仕方ないものではあるので、他人を非難しようとは思わない)。

夜寝る前には部屋はたいてい片付いている(というか片付いていないと眠れないのだ)。しかし朝起きると、どう考えても寝る前より、部屋が散らかっている。その散らかり方が半端ではない。異常と行っても良い。特異的である。嵐が過ぎ去ったかのよう、と人はいうかもしれない、がそれほどではないと思う。せいぜい関取の見習いの方々が、10人ほどマイムマイムというダンスを、10分ほど踊ったくらいだろう。でもそんなことが現実に起こるわけはない(もし現実に起こるとしたら、現実という言葉の定義を変えればればいいだけだ)。

現在、私が持っている素敵な仮説は、夜の間に小人さんたちが部屋で宴会をして片付けずに帰ってしまった、というもの(現実的じゃないかもしれないけど、これが一番微笑ましいから、これが原因であると決めた)。


それはともかく(もちろんだが今までの話は前置きである、後の話と関係がないわけではないが、関連性が濃厚かと問われれば、私は誰よりも真っ先に首を横に振るであろう)、ごみ箱の話をしようと思う。たいていの部屋にはごみ箱が最低一つ。二つか三つある部屋もあるだろう。


申し訳ないが、ここで少し脱線する。
現在OSとしてWindows 98を使っているが、こんな私だってデスクトップ画面にはごみ箱アイコンが22個ほどはある(もちろん私の年齢と同じだ、深い意味はないが)。私の先輩はMac派だが(ノートパソコンなのでちょくちょく大学で触らせてもらっている)、先輩のデスクトップにはごみ箱アイコンしかないので(それも多種多様な)、どこに何があるかは、他人が見てもさっぱりわからない。おまけにごみ箱をクリックして開くと中にまたごみ箱が入っているときもある。めげずにさらにそのごみ箱をクリックするとまた幾つかごみ箱がある。生ゴミ、ガラスくず、紙屑、粗大ゴミ、プラスティックゴミ、高濃度放射性廃棄物、有毒ガスなどなども見かけたが。さらに奥に進んで行くことも可能なのだが、選択肢を間違うとフリダシに戻ったりするのだ(「フリダシって何?」という質問はしないで欲しい)。タイムマシンが出てきたときにはさすがの私もびっくりしてしまった。気をつけないと大変なことにもなる。昔、ブラックホールに入って出れなくなってしまい、先輩に迷惑をかけてしまったこともあった。でも「彼氏の秘密」には道義上、入らなかったことは誓ってもいい(「口で『誓う』と言うことなどすぐできる」という方もおられるであろうが、私は自分に厳しいほうなのだ、ということは今までの文章を読んでくれた良識のあるかたならば、信じていただけると思う、そもそも本当に入ったということを秘密にしたいと思うなら、そもそも取り上げないだろう、その点から言っても信頼してもらえることに私は疑いをもたない)。


ここで閑話休題だ。
そう、ごみ箱の話である。パソコンのことは忘れよう。私の部屋にもごくノーマルな円筒状のごみ箱があった。そう、茶筒の各辺を5から7倍くらいにしたような普通の、ウサギがら‐ミッフィーでなない、念のため‐の、何の変哲もない、いささかシンプルすぎると言っても良いごみ箱だ。しかし、私が朝部屋を片づけるさいに、そのごみ箱はどうも小さい。容量が小さいと言うのもそうだが、ゴミの入れ口が小さいのだ。座って本棚を整理している時に紙屑などを遠くのゴミ箱に投げて処理したいという時を想像して欲しい(想像してくれてありがとう)。


私はゴミ箱を大きなタタミ半畳のものにかえた。ゴミ箱を変えた後、部屋の掃除が以前よりかなり早く終わるようになった。


味をしめた私はゴミ箱をタタミ1畳分のまで大きくした。さらに部屋を片づけるのが楽になった。とうとう私は部屋の半分をゴミ箱にした。掃除とはこんなに楽な物だったとは思わなかった。これからは掃除をする夢でうなされることも減るだろう。しかし私はさらに楽をしたくなった(人生でつかえる時間は有限だ、もっと有意義なことに時間を使いたいと誰もが思うはずだ)。部屋の残りのゴミ箱以外の場所をさらに半分ゴミ箱にしたら…。


ここで数学に詳しい方なら気が付いたかもしれない(詳しくなくても気が付くかもしれない)。そう、私は掃除の時間を0にする方法を発見したのだ。そうだ、部屋全体を(略)したのだ。私は実行した。


その後、私は掃除に煩わされないという小さな幸せを手に入れ今にいたっている。 


以下は余談である。
しかし先輩のMac(言うまでもなくパソコンのことだ)にはまだ勝てない。そして、先輩は、よく私に言うのだが「僕(先輩は一人称のうちこれを好んで使う)の部屋と、僕のパソコンの構造はとてもよく似ているのだ」と。 私はどうしても先輩の部屋を見てみたいので、一目で良いから見せてください、と頼むのだが、先輩はこのときばかりは「乙女の秘密」とか言って見せてくれない。こういう時って女性ってずるいと思うのだが、読んでくれた方々はどうおもうだろうか(ここでは私の性別のことは忘れてもらいたい、といっても今までそのことに言及していないので問題ないと思うが)。まあ先輩がとても魅力的な女性であるのはたしかだけど。ちなみに私が以前使っていたウサギ柄のゴミ箱は先輩の部屋にあるはずである。私がそのゴミ箱を処分した次の日に先輩のコンピュータのデスクトップを見たら(略)。

「Small Happiness in A Trash Box」は、けっこう昔に書いた言葉遊び的な文章だ。たぶん、語り手さんが22歳だから、私がその程度の年齢の時だろう。大学の学部3年か4年か。まあ、なんて言うか、学生ではなくなってから書いているものと、素材は変わらない気がする。ウサギとか出てくるし。でも、「読んでもらいたい」って意志は昔のほうが強い感じかな。今回あらめて読みなおしてみてそういう印象を受けた。掲載にあたり、文章を少々いじった。