女神のささやかな願い / Merciful Goddesses of Retaliation その6

タマキさんは饒舌キャラですね。どんな漢字がよいかな。環、珠樹とかかな。

タマキは一度深呼吸をして、話し始めた。
「この社(やしろ)の仕組みがいつ頃定まったかは定かではないのですけど。先ほども述べたように、一般的に神は願いを叶えるわけではないのです。参拝者の何か成し遂げたい、という決意や誓いを承認するだけです。時には、参拝者にお話をしてもらい、それを録音します。話をするのが苦手な人は、文章で書くのでもかまいません。理路整然と自分の復讐が正しいことを説明する人もいますし、どういう方法で復讐をするのかを詳細に語る人もいますね。図や文章を適切に使って、まるで論文や取扱説明書のようなものもあったりして神職である我らや我らが祀る神すらも驚くことがありますね」


「この努力がもっと前向きなこと、創造的なこと、人を楽しませることや嬉しがらせることに向かえば良いのに、と感じることもありますね。言うべきではないとはわかっていますが。人には、それぞれ大事なものはあります。時間をかけて、精一杯考えた上での結論がそうであるならば、部外者に近い神職のもの達が関与できることなど限られているのです」
そして、こほん、とタマキは、わざとらしく咳をした。


「少し話がそれてしましましたが、大事なのはその気持ちを具体化することだと考えています。たまに、実際行いたいことは復讐じゃなかったということに気がついて、特に誓約をせずに帰る方もいますね。それはそれで、その人にとっても、復讐されそうになった側にとっても良かったことかもしれませんね」


また、タマキはクスクスと笑い、
「思い違いや考え違いをしている人たちに構ってあげるのは面倒ではありますが、さらに踏み込ませるよりはお互いによいでしょうしね」と言った。「そうそう」と言ってタマキは言葉を続ける。
「神社が、慈善団体や奉仕団体だと思っている人たちがたまにいて困ったものです。どこでそんな勘違いを植え付けられたのか、どういう経緯でそういう発想がでてくるのかわかりませんけど、誤解を信じて我々に干渉されても迷惑なだけです。そういう人たちは、自発的に、不特定他者への慈善行為や奉仕行動を行ったことがないのではないかと思います」


「どうも話がそれていけませんね。本題に戻しましょうか。さて、痛みを伴わない決意というのは、軽いものになりがちです。というわけで、代償を払っていただくことになります。願いを叶えるための決意を具体的な形で示してもらうことになります。というより、具体的な形にすることで、本人がより集中して問題解決に当たることができる、という場合もありますね。願いと誓いを明文化し、その重みを具体化するというのが神と私のような神職の機能とも言えるでしょう。これは、どこの社でも本質的に同じだと思いますけど。私が仕える神は復讐や報復を司りますので、参拝してくださる方の誓いの内容は復讐の達成ということになります」
タマキはスラスラと答えた。何回も、答えてきた模範解答というように。


タマキはさらには楽しそうに話を続ける。
「お金などの代償であれば、願いが叶ったときに、つまり、復讐が成った暁には、返還されることになります。神の価値観は人とは異なります。この神社で祀られている神がお金を欲することはありません。神社は営利団体ではありません。でも、誓いを達成された方の多くはこの社に寄付されることが多いですね。寄付されたお金は、この広い神社を維持するために使われることもあります。原始の時代ならともかく、今の時代には、神と人とを結びつける空間を維持するためにある程度のお金は必要になるのです。この社は地域の方々を含め多くの人に支えられてなり立っています」

(続く)