お酒に関すること


2004年1月頃に書いたもの。

私はお酒が飲めないわけじゃない。ただ飲みたいと思うシチュエーションがほとんどないというだけである。もちろん、飲めるといってもかなり少ない量で酔ってしまうし、その少ない許容量を超えれば、普通の人がなるように頭痛や吐き気に苛まれたりする。


どの酒が好きかといわれるとなかなか難しい。少なくともビールは嫌いだ。味も好きじゃないし、中ジョッキに2杯以上飲むと、大体次の日に腹痛になる。日本酒は味が嫌いというより味がよくわからない。うまいというより私にとっては痛いが近い気がする。サワーとかはおいしいときもあるけど、悪酔いというか頭痛と吐き気がかなりやばくなるので要注意。ワインはまぁおいしいものがあるけど、そんなに飲めない。現時点では700mlくらいが限界だと思う。気持ちよく飲める量はその半分以下だと思う。カクテル系はカルーアミルクとか好きだけど、これもアルコール度数高いのであんまり飲めない。焼酎はちょっと強すぎるかなぁ。ほとんど飲めない。


お酒が好きかどうかはともかく飲み会の場が好きかどうかも、重要な気がする。言葉を使えるならいいけど、言葉を使えないのならただの苦痛でしかない気がする。でも、飲み会の場での人間観察はそれなりに面白いのでできれば、私を無視して会話を続けてくれればいいと思う。


「コミュニケーションは大事」って言われれば否定はできないけど、その「質」をそれなりに求めたいというのもわかって欲しい。もちろん、質は参加する私にも起因するから他人事じゃないんだけれど。要するにそんな頻繁に付き合ってられない、ってことなんだけど。久しぶりに会う友達とかと一緒に話すのなら、濃密に時間を使うために飲むのもいいと思うのだ。アルコールの効能を使うときのひとつにそれもあると思う。


酔った時って、いつも言葉を使いすぎて、酔いが覚めた後に罪悪感で嫌な気持ちになる。なんとも言えない嫌な気持ちだ。ストレス解消どころか、普段は見ない振りをしてごまかしている自分の悪いところがどんどん出てきてうんざりする。でも、それはそれで重要な気がしないでもない。嫌な自分と向き合うのはつらいけど、大事なことなんだと思う。ただ、その言葉をぶつける相手と信頼関係がなければ、たいへんなことになる。信頼関係があっても、たいへんなことになるかもしれない。その後のフォローにかなり労力をかける必要がある。


私はお酒というものをうまく生活または人生のなかでうまく利用できない。これから少しは使えるようになるのかな?私はタバコが嫌いだし吸えないけど、タバコをうまく人生に使うことができたら、それはそれでうらやましい気がする。お酒も自分の人生にうまく使えたらいいと思う。


お酒にしろ、タバコにしろ、規範となる見本があればいいのにって思う。それは良く生きないと無理な気がして、私にはとてもそんな境地になれないなって思う。いらいらしてタバコを吸ったり、自棄酒を飲んだりとかそういうのは傍から見ていて嫌だなぁって思う。そういうこと言うと、「あなたは周りの人をそう思っているわけ?」ってなってしまうけど、自分の参考にできるものがない、という程度の意味で、他者を否定しようという意図はない。