ブラックボックスとか

研究をしていて、良いと思うところは、過去の偉い人達がどういうプロセスで新しい知識を生み出してきたかをおぼろげながら推測できること、というのもある。
これは、勉強をしているだけではわからないことだと思う。


昔、一人の学生が、「『とりあえずやってみる』というのが嫌だ」というふう言っていた。まあ、言い分もわからないではない。
でも、ブラックボックスの中身を探るには、「とりあえずやってみる」しかない。ブラックボックスの中身を知っていたら研究する価値なんてないし。
ある意味、教える立場の人達にとって、学生はブラックボックスだし、学生にとっても先生という者はブラックボックスなのだ。
コミュニケーションはブラックボックスなのかな。
新しいことを知るためには、連続的にそこに近づくこともできるけど、なんらかの飛躍が必要なことがある。
または、連続的に近づくより、飛躍してから、間を埋めた方が効率が良いことがある。

何かを説明しなければいけないときがあって、ある原因から、ある結果をとりあえずつなぐことはできる。
でも、それは複雑なネットの一筋か二筋をたどったに過ぎなかったりする。
自分で試行錯誤して、苦労することにより、そこに含まれるある種の豊かさを体感できるのだと思う。