伝えたいこと

語り手さんは24歳くらいの大学院生という設定です。女性です。

あたしの失恋経験について、A4の紙サイズで4枚にしてレポートにして提出した。


あたしの指導教官(45歳、独身、性別不詳)は「これは、きちんと論文にして、雑誌に投稿しよう」と言った。

「血迷ったか」「担当教授、ご乱心」「研究室選び失敗! オワタ\(^o^)/」というフレーズがニコニコ動画で横に流れていく文字のようにあたしの目の前に流れていくのを意識した。


でも、腐っても相手は指導教官。落ち着かなきゃ。えっと素数を数えよう。2、3、5、7、11、…。なんとか落ち着いた。素数に1が入らないのは素因数分解の一意性のためなんだっけ。…

必死に話題をそらし、逃避モードへと移行しつつあるあたしの心の一部を強引にねじ曲げ、あたしは、あっさりと言った。


「この内容ではアクセプトされるのは無理だと思います」
言い換えれば「嫌だ」と言う意味だ。このように、はっきりと拒絶したのに、先生と来たら、
「まあ、確かにいろいろ至らないことはあるよ。Introductionは、きちんと先行研究を踏まえて書き直すべきかな。surveyがもっと必要だね」
とおっしゃられる。


先行研究なんてあるのかどうだか知らないが、先生があるというのだからあるのだろう。あんまり読みたいとは思わないが。

先生は喜々として話し続ける。
「それに、このMethodは面白いよね。着眼点に光る物があるよ。とは、いうものの圧倒的に説明不足だけどね。ある程度の前知識なくて、これ読んで理解できる人なんているの?って感じ」

まあ、内輪向けのリポートだからね。説明不足ではあると思う。


「Resultに関してはなかなか珍しい結果だし、オープンにしても良いと思うんだよね。やっぱり書き方が一人よりよがりで、他人の視線を完全に無視しているイカレぷりが逆にほれぼれするくらい支離滅裂だとは思うけど、見る人がみれば面白い結果だとわかると思うよ。まあ、グラフや概念図をうまくキャッチーに見せる工夫が必要だね」

一瞬殺意が湧いた気がするが気のせいだ。あたしは、この腐った先生のことをよく知っている。変な人間であることは承知の上だ。まだあたしが想定している範囲内だから大丈夫。あたしの母親の方がもっと変だった。こんなのには負けない、って張り合う方向性が間違いつつある自分の一部を封じ込めつつ、

「是非ご指導下さいませ。樹海でも氷山でも深海でも火星でも冥府で付き合う覚悟ですよ」
と微笑みながら言った。こういうのは慣れているのだ。

「あとだねえ」と先生は続ける。
まったく無視された。この程度で痛痒を感じる人にたいしてだったら、あたしも変な事を言うような冒険はしないのだ。相手に効果がなくても言うとしたら、自分のガス抜きのためかもしれないな、と自己分析。

「Analysisに関してね。新しい演算子の提案。このフレームワークは十分妥当だと思うし、これに対応する状態もなかなか画期的で良いと思うよ。ただ、やっぱり思い入れがあるせいか、他の人にはわかりにくい感じがあるかな。独りよがりの感は否めないな。それぞれの線形独立性の証明が成されていないし、各ベクトル間の重み付けあるいは規格化も不十分だと思う」

さっきから、さんざんわかりにくいとか言われているというか、駄目だしされまくっている気がする。どの点で批判するかというのが、研究者としての着眼点を反映しているはずなので、批判意見をきちんと押さえることは、自分の指導教官を評価することにもつながるかも、とか関係ないことを考えつつ聴いていた。


「…conclusionに関しては、もう少し再構成が必要ではあるが、まあ、必要な項目はこれで足りるだろう」
何か、他にも言っていたような気もするが、途中であたしの頭は聴くのを拒否したようで、いつの間にか結論の事を言っている。意識が出てきたのは、先生が恐ろしいことを言い出したからだ。


「きちんと論文になったら、是非とも有名雑誌、例えば"Falling Love Affairs (FLA)"に投稿しようよ。"Phenomenological Research of Loves (PRL)"や、"Nature -love technology-"とかも良いかも」

いやいや、無理でしょ、こんな適当なレポートをそんな有名な雑誌に載せるのはさ。



思った通り、このレポートが論文として世に出るまでもの凄く時間がかかった。先ほど述べた有名雑誌は全て、リジェクトまたは放置をくらう。


「面白い結果ではあるが、General Interestではない」とか。「既に似たような結果がある」とか、定番のレジェクト文章。こいつら、絶対読んでいないんじゃないか?と思わせるリジェクト文章が目白押しだった。


こういうふうに無視に近い扱いを受けると、最初は乗り気ではなかったあたしも、早くこれを世に出したいと思うようになった。まあ、人様に見せるためにさんざん苦労したから、その苦労が報われたいとささやかながら思うようになったのだ。あくまでも有名雑誌に拘る先生をなんとか説得し、ちょっと(?)マイナーな雑誌に出すという妥協をすることにした。

その、なんとか投稿したところが"Abnormal Nature of Humanity"という、ローカル雑誌である。

マイナー雑誌なのに(失礼)、5人も査読者がいた。ありがたいことに、5人全員が、早期の出版を進めてくれた。もちろん細かい修正ポイントはいくつも指摘されたけれど。
「この論文誌が消えることはあってもこの論文は不朽であろう」とか「この論文に報告された内容の経済効果は計り知れない」とか「人類は新たなる問題を発見した」とか「この研究成果を世に知らしめることにより、10万人規模の雇用が発生する」とか「論文を読んで涙が出たのは、18年と3ヶ月ぶりだとか」とか、あまりにも大げさなものや荒唐無稽な評が多くて、これは褒め殺しならぬ、褒め褒め大殺戮だなと思った。


もう少し内容に踏み込んだコメントとしては、
「男性の拒絶の言葉が回文で、それが500字を超えていることなどは、特筆に値する」とか「女性の多重入れ子構造の"だじゃれ"を使った引き留め行為は、見ていて切なくなり泣けた」とか「あれだけ真摯に言葉をぶつけ合っている二人は何にもわかり合えていないという究極のすれちがいぷっりは凄い」とか「お互いに好きとか愛しているとか言っているのに、それにお互いだけはどうしても気がつけないで、不安な気持ちになり、さらに言葉を練って相手にぶつけるけど、それは、どんどん遠くに離れていくのと一緒。愛の滑稽さを表している」とかまあ、あたしが頑張っている点についても一応見てくれていたようで少し安心した。


妙に解析方法について、詳しく突っ込んだ査読者もいて、これはとても勉強になった。「有限個で一応の解は出たけど、無限の時はどうするのか?」とか批判的なだけではなく、有意義な提案をしてくれてありがたかった。「べき関数か、指数関数的減衰だという解釈だけど、それは○川ポテンシャルでは解釈できないのか」などという指摘もあった。これが、あたしの研究テーマをさらに進める事になるのだが、それはまた別の話である。


査読という行為の中に、創造的でかつ教育的なことをする人もいる。それを初めて知った。「(まったく関係ないけど)査読者の論文を引用しろ」とか、つまんないことに難癖付けたり、故意に査読を遅らせたりとか、査読行為にそういう悪いイメージを持っていた過去のあたしに現在のあたしは猛省を促したい。


そして、科学への真摯な想いをあたしは感じた。それは、それを体験できただけで、あたしは生きていた価値があったって思うくらいものだった。別にこれをみんなに分かって欲しいと思っている分けじゃない。とにかく、あたしはそれを知って安心したのだ。世界に、こんな面白いことを考えている人達が数人いるだけでも、この世界は生きるに値する。


さて、あたしが研究者としての道に足を突っ込むきっかけとなったその論文であるが、未だ、誰にも引用されていない。雑誌社は潰れてしまったそうだ。

元指導教官曰く、「たとえ、学術的価値があろうとも、時流に乗れなければ消えていくのが研究というものだ。それは、悲しいことだけど仕方がないことでもある」

「でも、」
と続ける。
「本当に価値がある研究であるならば、いつかまた日の目を見ることもあるだろう。それは引用されるという形は取らないかもしれないけど。ある種のスピリットの継続があることに、きっと意味があるんだろうと信じている」

あたしは、その気持ちを今ではなんとなく理解できるようになったと思う。