追いつけ追い越せじゃないだろう

フィクションです。

欧米に追いつけ追い越せ、って何それ?
日本は、まあ、だいたい追いついているんじゃないの。
基礎的な科学・及び技術においてはさ。
それを応用するのが超下手なだけでさ。


それよりも、中国とか韓国とか、東・東南アジア系の論文が増えてきたな、って言うのが印象だよ。


あとね、評価基準をきちんと自分達の国でもっていないと駄目だよ。


いつも、Natureに載ったとかScienceに載ったとかで騒ぐけどさ。


まあ、それはそれでとってもすごいことだけどさ。
自分達の国の論文誌に載った物を、きちんと凄い物だ、って評価できるようなのが望ましいんじゃないの?
自分の国が出している論文誌が世界に誇れるようなものだっていうのも、とっても大事なのでは?
他の国の人達が、こぞって日本の雑誌に投稿したくなるような状況が望ましいのでは?


フェアな眼で見ると、どの論文誌に出そうがどうでもいい、ってことになるよね。でも、ある論文誌がその国にあると言う事が、その国にとってのステイタスになるって事に気がついている?

そういう論文誌の存在が、その国の礎の一つになり得る。たとえ商業誌だとしてもね。


インパクトファクターの高い論文誌に、論文を載せるのは難しいし、それは凄いことだけど。

自分達で価値のあるものを築いていくこと自体も大事な事。
評価基準を外国に任せっきりな状態で、科学技術立国とか言っていてはだめだよ。


「これが俺たちの提案する価値だ」「どうだ凄いだろう?」みたいなんでいいじゃん。
というか、それだけじゃ駄目なんだけど、そういう要素も必要なの。


非欧米人が書いた教養系のベストセラーを読んだことがある。いちいち、欧米の教養文脈に関連づけているのだな。まあ、それでわるいわけじゃないけど。そういう事が期待されている中で生き残っていく事の意味を軽々しく言わないで欲しい。研究は「ブレイクスルーを出す」というだけで凄い大変な事。それをさらに外国語として良い文章を書くというのは、そんな誰にでもできる簡単な芸当じゃない。

個人にその手のものを帰着させるのはつらい。集団としてうまく機能出来れば良いとは思うけど、どうすれば良いのかな。

もちろん、研究って最終的には個人的な物だとも思うけど。ただ、あるコミュニティーの中で、いかに多くの成果を出すかっていう要素もあるよ。


一応、言っておくと、上記の文章はインパクトを狙って過激な事を書いているけど、そのまんま本心というわけではないです。というか借り物ですね。私自身の考え方からはけっこう遠いかも。部分的には私の考えに近いこともあるけど。

【10/8 追記】研究におけるサポート体制みたいなのは大事なんじゃないかな。