『博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか?』(榎木英介)の感想4

博士漂流時代  「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20101216/p2 の続き
書評と言うより感想。感想と言うより、インプレッションの羅列。

「「第3章 博士が使えない」なんて誰が言った?」に関して考えたりしたこと。


「博士問題への厳しい意見」としてこんなのがあるらしい。

  • 博士は優秀じゃない
  • 博士のマインドが問題だ
  • 自己責任だ
  • 外国にいけばよい
  • もっと困っている人がいる
  • 博士なんか減らしてしまえ
  • 本書では、これらの論点について丁寧に反論しています。買って読みましょう。
  • 不適切なレッテルをはって、考えなくなってしまうというのは、私も思い返せばよくやるので気をつけないといけないな、って思う。
  • p.131に、博士課程修了者の民間企業への就職者数、就職率ともに右肩上がりとある。博士を採用する企業の数は増えていないようだ。採用している企業は採用数を増やすみたい。こう言うのは知っておいた方が良い事実かも。図17の博士新卒者の企業就職率の図が参考になります。「博士になっても就職先がない」というのは、「選択肢が増えていない(or少ない)」であり、「就職できない」ではない。
  • ちなみに、私の所属していた研究室(物性物理学実験)の博士はどうだったかな?先輩は3人いて、2人はアカデミックポスト、一人はアカデミックポストから民間へ。私は今のところアカデミックポストに引っかかっている。同期の人もアカデミックポスト。後輩は2人いて、2人とも民間。
  • 卒業した博士の中で、私が一番不安定かな。


p.146

苦しんでいる人の前で、あなたたちより私たちを優先させるべき、と言わなければならない。未来のためにお金を使いますと。そしてその心を割かれるような気持ちを抱いて研究しなければならない。

  • 研究者で、こういう意識を持っている人ってどのくらいいるんだろう?って思う。私も、たまに思うけど、普段は考えないかな。
  • たまに、世界のどこかで戦争が起こっているのに、こんな役に立たない研究をしていてよいのかな?と思う。貧困にあえいでいる人達がいるのに、浮世離れした研究をやっていてよいのかな?と思う。
  • 私の研究したいという動機の一部が、「おもちゃで遊びたかったから」である。
  • 「真剣におもちゃで遊ぶことで、新しい知見が得られる(ことがある)」と「新しい知見は時に我々の生活を格段に向上させる」という事から、科学の研究は社会から援助してもらえているのだと思う。
  • p.154 「必要なのは雇用の流動化」というトピックが出てくる。この問題の難しさに関しても言及している。


p.157

これでは、才能を活かす機会を得るのも難しい。コミュニケーション能力がない、頭が固い、視野が狭いといった理由が言われるが、それが言い訳なのは明らかだ。企業理博士を雇えと旗振っている文部科学省経済産業省自身は、どうして博士やポスドクの採用に積極的ではないのかを考えればよい。官公庁だって年功序列だ。

p.157

科学の世界だけかわっても、社会全体が流動化しなければ、問題が解決しないのだ。科学会だけポスドク非正規雇用にしても、ほかがそうなっていないから、行き場がなくなってしまうのは当然だ。

  • そう思う。博士ばっかりに文句を言われても困る。
  • このあとに、常勤・非常勤の差の問題。終身雇用、年功序列の問題について触れられています。そして、その問題を解決する方法の提案、及びその方法を実行することの難しさが書かれています。
  • p.159の「図21 ポスドクに行き先がない理由」の絵は、示唆的でとても分かり易いです。
  • 博士が駄目な理由をいくら並べ立てられても、博士の人達や博士の人達と一緒に研究や仕事を従事した人からすれば空疎な言葉に聞こえると思う。そりゃ、駄目な人もいる。でも十分優秀な人まで職にありつけない理由にはならない。
  • 現実の世界がこの図そのままというわけじゃないけど、見方を変えて物事をみるさいにこの種の図は大変効果的だと思う。
  • 「現実から離れた、でも耳に馴染みやすい言葉」というのがある。その種の言葉に対抗するためには、このような図で対抗するのは良いことかもしれない。
  • もちろん、「博士は役立たず」を図で示すことも出来るだろう。図と図の戦いになる。でも、言葉と言葉の戦いよりもきっと良い。言葉で定量化するのは難しいから。特に複数の評価基準が入ってくると、話し言葉だけで、何か物事を決定するのは困難になる。
  • 『環境リスク学 不安の海の羅針盤』(中西準子)ISBN:9784535584099でいたときも、図に対する思い入れを感じた。
  • この本繋がりで、もう少し書くと、環境問題を含む社会問題などは、博士が活躍する余地がまだまだある分野だと思っている。まあ、私の興味がそこにもあるという事を言い換えただけとも言えるが。
  • 話はずれるが、いわゆる文系の先生って、ノートも何にも見ずに90分ずーっと話し続けるような授業をする事ができるから凄いって思う事がある。
  • でも、視覚イメージを大切にして欲しいっておもう。見て、ぱっと分かる図が必要。または、「この図はとっても不思議。なんのなのよ?(わくわく)」って感じさせる図が必要。
  • 図が必要と考えちゃうのは、言葉だけで議論される競技ディベートに対する不信感みたいなものが私の中にあるからかも(まあジェスチャーはありだけどさ)。不信感というより、ある種のやりきれなさに起因するかも。
  • どんどん関係ない方向へ話が進んでいるな。競技ディベートで、ホワイトボードや黒板を使って良いという事になったら、いろいろ面白いと思うんだけどな。まあ、あれは議会の討論を模したものだしな。議会そのものが説明することにもっと真摯になって欲しいのだよね。議会において、ホワイトボードや黒板が使われることを望む。
  • p.161「不遇の先にあるもの」は確かに。ソビエト連邦崩壊時に、優秀な科学者が流出したって話は昔きいた。
  • p.164からのコラムでは博士の給料の安さに関して書いてあります。ポスドクの給料は平均30万6000円だそうだ。短期間で、異動を繰り返し、退職金なども少額。他にも経済的な困難さを示唆することがいろいろ書いてあるけど、書くのは自重。悲しくなるから。

続く。
http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20101220/p1