『過去を復元する 最節約原理,進化論,推論』(著:エリオット・ソーバー (Elliotte Sober)、訳:三中信宏)の感想 3

過去を復元する―最節約原理、進化論、推論

過去を復元する―最節約原理、進化論、推論

今回は序言についての感想。感想と言うより、「引用+連想した事」を書く。なんというか序言は濃いです。難しかったら後で読んだ方が良いかもしれません。



p.9の引用部。

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20111026/p3
でも採り上げましたが、最初のアインシュタインの引用は面白いです。


p.11

また、科学全般に目を向けてきた伝統的な哲学を延長すると,特定の科学理論や個別の科学問題から発展してきた哲学問題と出会う。この種の哲学問題は、物理哲学では古くからあったが、最近になって心理哲学や生物哲学でも認識されるようになってきた.

面白いですね。

この本では、現代進化論のなかで激しい概念的・方法論的論争を巻き起こしてきた系統推定(phylogeny estimation)の問題について論じる。

ふむふむ。

同時に、本書は理論の確証と評価をめぐる哲学上の諸問題とも絡んでいる。

ここらへんが気になる。

これらの問題は、従来は一般的な哲学の問題として論じられてきたが、特定の科学論争とのつながりができれば得られるものが大きいだろう。

こういうところが読もうと思った理由でもある。

この系統推定という問題は、生物学的側面と哲学的側面をあわせもっている。

ここらへんは面白いと思っている。何にも無いところから哲学って出来ないんだと思う。具体例を分析することによって、多彩な側面を理解することが出来るようになる。

科学全般に通じる哲学というのもあるかもしれない。でも、例えば生物学だけに、あるいは生物学において特に重要な哲学というもあるだろう。そういうのをきちんと考える事もけっこう大事だと思う。


具体例の重要性はある。まあ、科学者じゃない人からすると、十分に抽象的で、それのどこが具体例なんだよ?って思われるかもしれないが。階層構造の上下みたいなものか?あんまり良い比喩じゃないかもしれないけど。ピラミッド構造というか。


ちょっと脱線。『非線形な世界』(大野克嗣)のp.60の注釈に面白いのがあったので引用。

《実例の真の意義》この本ではこのような路線がくりかえし現れるが,その裏にあるのは「われわれが判然と知りうることはわれわれが言葉で表現できることより広大である」「われわれの言語以前から存在した自然知能は実例からその革新を直覚する能力がある」という確信である.実例には言葉を介さずに自然知能にじかに訴える所にその本質的意義があるのだ.


ここでは実例と言っているけど、具体例とだいだいいっしょだろう。具体例とか実例にあたることによって、理解が進んだり、インスピレーションを得たりすることができて、それが科学や哲学の発展につながるんだと思う。


・・・


進化学者の問い「種間の類縁関係を復元するにはどのような方法を用いるべきか」。途中経過は観察できない。最後の結果だけ。推定する方法はいくつもあるけど、しばしば結果が矛盾することも。というわけで、方法論の問題になるらしい。

しばしば科学者は方法論の問題に出くわすが、よく考えもせずに不問に付してしまう。

なんかわかる。

しかし、系統推定問題ではそれがあてはまらなかった

ここらへんの話も面白いです。

そして、最節約性(parsimony)という言葉が出てきます。第1章で詳しく扱われるようです。そして、単純性に関する言及も。この本のテーマは、「系統推定法としての最節約性」に関してだろそうです。

必要もなく複数の物事を立ててはならないと述べた14世紀の唯名論者William of Ockhamは正しかったのかもしれない。しかし、われわれとしては、彼がどんな点で正しいのか、そしてその論拠は何かを考える必要がある。

こういう問題意識が面白いのだと思う。

関連して思い出したのは、『数学― 物理を学び楽しむために―』(田崎晴明 http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/mathbook/ )の「第1章はじめに」です。
特に、「1.1 物理で数学を使うことについて」「1.2 物理と数学」は面白いです。ここで、ウィグナーの言葉「自然科学における数学の不合理なまでの有効さ」というのが出てきます。


では戻る。

p.12

最節約性を正当化しようとする試みはいまだに成功していない。しかし、それが根本的に間違っているということを示そうとする試みもまだ成功していない。

そういうことらしい。

p.12〜p.13

私のいいたいことは、仮説演繹主義−−仮説は観察予測命題を補助的仮定との連言命題として演繹することにより検証できるという説−−は系統推定の問題が採用すべき論理的形式ではないということである。

ここも大事なポイントだと思う。印象深い文章。



p.13〜14

学問領域の境界の線引きはその大部分が歴史上の偶然によるものである。研究の過程で生じた問題が、ある単一の学問領域に固有の方法によってのみ解決されるという保証がいつもあるわけではない。学問領域の境界を越えることによってはじめて系統推定の問題について何らかの前進があるのだというのが私の持論である。

こういうのも面白い。

分岐学の創始者であるWilli Hennigは、理論と観察とは相互観照(reciprocal illumination)の過程を通して互いに関係しあっていると主張した。さまざまな概念を一緒にすると互いに光を当てあい、その結果ある統一的な結論が得られる、というのが本書の提示した作業仮説である。

reciprocal illuminationとい言葉が面白いと思った。

第1章の感想に続く。(たぶん)