『はてしない物語』(エンデ)

はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))

はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))

はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))

はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))

文庫では読まない方が良いと思いますが、文庫版を読みました。高かったから・・・。

面白いところがあったので引用。

p.19ー20

何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子供も大人と変わらない。そういう情熱の虜になってしまった者はそれがどうしてなのか説明できないし、そういう経験をしたことのない者は理解することができない。山の頂を征服することに命をかけるものがいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえも本当に説明することはできないものだ。自分などに目もむけてくれないある人の心を得ようとして破滅の道を進む者。美食、美酒のたのしみに負けて堕落する者。賭事に一切合切そそぎこむ者。けっして実現することのない思いつきのためにすべてを犠牲にする者。今いるところではなく、どこかよその土地へゆけば幸せになると信じ込み、全世界を放浪しつつ一生をすごす者。権力を手に入れるまで心のおちつかない者もいる。ともかく、人間がさまざまなのと同じように、情熱もさまざま、無数にあるものだ。

バスチアン・バルタザール・ブックスにとって、それは本だった。

耳をまっ赤にし髪をくしゃくしゃにして、日の暮れるまで本の上にかがみこみ、まわりの世界を忘れ、空腹も寒さも感じないで読みに読む、そんな経験のない者----

父とか母とか、それともだれか世話好きの人に、明日は朝が早いんだからもっと寝なくてはという親切な理由で電灯を消されてしまい、ふとんの中で懐中電灯の明かりをたよりに密かに読みふける、そんな経験をしたことのない者---

すばらしい話も終わりになり、数々の冒険をともにした人物たち、好きになったり尊敬したり、その人のために心配をしたり祈ったりした人物たち、かれらとともにすごせない人生など空虚で無意味に思える人物たちと別れなくてはならなくなり、人前であれ陰であれ、さめざめと苦い涙を流す---
そんな経験の一つもない者には、おそらくバスチアンがこのときしでかしたことが理解できないだろう。

こういう書き方が好き。本に対する愛を感じます。


「XI 女王幼ごころの君」にある文章も面白い。

p.290

ファンタージエンと人間界の境を越える道は二つ、正しい道と誤った道とがあるのです。ファンタージエンの生きものが恐ろしい方法でむりやり向こうに引きずられてゆくのは、誤った道。けれども、人の子たちがわたくしたちの世界にやってくるのは、それは正しい道なのです。ここにきた人の子たちはみなこの国でしかできない経験をして、それまでとはちがう人間になってもとの世界に帰ってゆきました。かれらはそなたたちのまことの姿を見たゆえに目を開かれ、自分の世界や同胞もそれまでとは違った目で見るようになりました。以前には平凡でつまらないものとばかり見えていたところに突然驚きを見、神秘を感じるようになりました。ですから、かれらはよろこんでファンタージエンにきていたのです。そのおかげでこちらの世界が豊かになり、栄えれば栄えるほど向こうの世界でも虚偽(いつわり)は少なくなり、よりよい世界になっていたのです。

これを読んで、『白き魔女』(日本ファルコム)というゲームの中でこんな台詞が出てきたのを思い出した。

大切なのは、その経験をどう受け止め、どのようにこれからの生活に活かせるかだ。いくら貴重な体験を多くしても、自分の人生に活かせなければ意味はない。