「任期付き研究者」とか「職業上の研究者を辞めること」とか

ずっと前に書いたメモが出てきたので載せる。

とりとめもなく考えたことなどを箇条書き。考えた時間がそれぞれだいぶ異なるので、それぞれの事には関係があったり無かったり。前提条件が異なっている場合も非明示なことも。

  • 研究を諦めてまったく別のことをやるのが辛い理由はいろいろあると思う。「小さい頃からの夢」ではないにしても、人生の多くの時間をそれに費やしてきたわけで、それを簡単には捨てられない。今まで培ってきた研究能力の多くを活かす機会が少なくなる事も寂しい。知識・技術・人間関係などが、新しい場所では無効になることが多い。全部が使えなくなるわけではない。新しい場所では、自分の持っている能力を他者が持っていなくて、それがアドバンテージになる可能性だってある。自分の能力が新しい場所で活かせるという状況は幸運な場合であり、誰しもがそうというわけではない。
  • 大学や国の機関で働く多くの任期付きの研究者って「地縁」を利用することができない。5年間東京の大学にいて、そこでいろいろ仕事をする上での地元のネットワークを作ったとする(作ると言うより構成員になる、かな)。でも、次には北海道とか離れた場所で働かなくてはいけないかもしれない。海外で暮らすとなれば、もっと大変だろう。もちろん、ネットワークは少しは後々関係する可能性もある。でも、元のネットワークを作る過程で費やした投資に見合うリターンがあるかというと、なかなか難しい。
  • 生活する上で・研究する上で、良い物・良い場所・良い人を見つける努力を初めからしないといけない。それは大変な事。通信技術や輸送技術が進歩したけど、移動にはやはりいろいろな苦労が伴う。新しいものを得るチャンスでもあるけど。
  • 別の場所に移っても、研究上の付き合いは、近しい研究を続ける限りはある。というか、それがけっこう拠り所だったりする。でも、研究することを止めてしまったら、その人間関係の繋がりの多くを実質的に切ってしまうことになる。
  • 若いうちはいろいろな場所で受け入れてくれやすい。でも、加齢に従い、受け入れてくれるところは減る。年をとっても雇ってもらえるのは、なにかしらの特別な能力ないと。
  • ポスドクを何年もやって、常勤ポストに就けない人はたくさんいる。それは、研究が楽しいからっていうのもあるだろう。夢を諦めきれない、って言うのもあると思う。でも、研究を通して得た人間関係がとっても大事な物だからというのもあると思う。
  • せっかく苦労して築いた信頼関係を、使えなくなってしまうと言うのは、どういう気持ちだと思う?
  • お仕事は信頼関係があるから成り立つ。
  • もちろん、今の仕事を捨てて、新しい事に挑戦して開ける道もある。でも、それは失敗した人を支える仕組みがあると良いと思う。
  • 冒険は、「余裕があるから」するか、「差し迫っているから」するかだと思う。前者と後者の冒険を同一視してしまうと、いろいろ間違う。
  • 家族と別れて暮らす必要もあるかもしれない。