悪いことばかりみない

2006年2月頃に下書きとして書いたものをすこし修正したもの。


誰かに何かを言えば、相手は傷つくかもしれない。それにより相手やその他の周りの人からから非難されることもある。そういう時はつらいと思う。でも、もしかすると、自分が気がついていないところでプラスの効果があったかもしれないし、これからあるかもしれない。

頭のいい人だって、よくない人だって応答から学ぶのは確か。ただ効率性の問題。だから頭がよくない人はたくさん失敗して経験をつんで、少しずつ良い人間関係を模索するしかないのだと思う。

価値観が世間とずれているほど、摩擦も大きくなる。適度に諦めて、適度に反抗する。後は、自分自身の持つ力が適当なところへ自分を運んでくれると思う。

しかし、私は何でこう短気かな。怒りとか憎しみとか悔しさとか悲しさとか妬みとかをもう少し意味のあるものに変換できないのだろうか。

自分の周りに、適切で鋭いツッコミを入れてくれる人がいると安心できる。ズレが理解できれば修正することもさらに突出させることも、理解できていないときよりはやり易いと思うし。


だから、自分にツッコミを入れてくれる人を探さないといけない。絶対的な位置を知り得なくても、相対的な位置を知ることがよりどころになるから。