「レッテルを貼る奴を見ると無条件に攻撃したくなる」

http://www.cml-office.org/archive/1229216247213.html

何故なら、レッテルを貼る奴が嫌いだからだ。これは、私のもうちょっと奥深い感情というか情念のレベルの話だから、このことを批判されても受け入れるつもりはない。私の存在意義がそこにあるから。

面白い。

無思慮に間違った(or不適切な)レッテルを貼る人もいるし、故意に(時には悪意を持って)正しいとは言えないレッテルを貼る人もいる。

そういうのに抗して、時に「そのレッテルは、中身とぜんぜん対応していない」と言う必要がある。

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人の性質として、他者とコミュニケーションをとりたいという欲求がある。できれば、相手に自分を認めてほしいし、そのためには、相手を驚かせたり、ビックリさせたり(同じ意味だ)、驚愕させたり(だから同じ意味だって)する必要がある場合もある。少し怪しい話だったとしても、コミュニケーション欲求があるために、子供騙しの胡散臭い話をついしゃべってしまったりする。そういう話が、どんどん敷衍してしまい、結局みんなが損をするということがあるのだろうな、って思う。(まぁ、とりあえず自戒も込めて、こういうもってまわった言い回しだったりする)

情報をインプットする際に、それが妥当な情報であるかをきちんと考えないといけない。そして、アウトプットする際にも、きちんと考えてから言うべきなのだと思う。


でも、まぁ、自分ひとりで制御するって言うのは難しいね。やっぱり、適切な突込みを入れてくれる他者というのは本当に大事だと思う。

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「中身と対応していない」という趣旨の指摘は、時には摩擦を生みかねない。というより、そのような摩擦を伴いつつも、互いによりよい価値を見出そうという営みは、コミュニケーションの側面でもある。