クールジャパン

「クールジャパンとか自称すると恥ずかしい」
「自称クールジャパン。滑ったときの、寒いに近い」


日々のタイトルは少々過激にすることがありますが。
そのまま本心というわけではありません。


問題は内実なのです。言葉に内実がともなっていれば恥ずかしくないと思います。
控えめすぎるのも逆に問題です。
内実に対応する適切な主張をするのは、とても大事な事だと思います。


http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20101007/p2

「これが俺たちの提案する価値だ」「どうだ凄いだろう?」みたいなんでいいじゃん。
というか、それだけじゃ駄目なんだけど、そういう要素も必要なの。


http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120405/p1

学術上は、有名雑誌に論文が載ろうが、マイナー雑誌に論文が載ろうが等価である。大事なのは、その論文の質だ。

論文誌によって、論文にある種のインパクトがないと載せてくれないところもある。このようにハードルが高い所に載っている物は、良い研究である率が高いだろう。ハードルが低い所に載っている物は、良い研究である率が小さいだろう。でもハードルが低い雑誌に、とても良い研究が載っている事もある。ハードルが高い雑誌に、わけわからん研究が載っている事もある。有名な雑誌に載っていることは、それはそれで凄いこと。でも、価値基準をそれに影響されすぎては駄目。自分の価値基準をきっちり持つことが大事。でも、みんなが正しいと思う事を無視していいわけではない。みんなが良いというものには、それなりの理由があるのだから。べたな言葉を使えば緊張関係が大事だと言う事か。

目の前にある自分の研究題材と自分との関係から生じる価値観。遠くにいる人達の総体から想定できる価値観。自分の目の前だけを見ていても、間違う。遠くの価値観だけを真似しても、自分の目の前にある問題には適用できない。