2011-08-04 生命科学の明日はどっちだ?第3回 コンドルは飛んでいる、メンデルは跳んでいる! リンク http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/mendel.htmlこれは面白い。
2011-08-04 「福島で暮らすということ〜小児科医として思うこと」(『ひまわりの種』2011/06/11) ブログ/日記 http://blog.goo.ne.jp/yi78042/e/0753e643211a4a1cf841e6a482333847 メモ。面白い。
2011-08-04 科学者の社会的責任とか 与太話 優先順位問題。棲み分け問題とか、リソース配分問題とか言い直しても良い。 これについて、ぼんやりと自分の中で思っていることはあるんだけど、それをそろそろ文章化した方がよいかな?って思い始めた。 これまでもちょこちょこ書いたり情報を集めたりはしていたんだけど、ちょっとまとめた方が良いかなって思った。 これから少しずつ考えていくと思う。 どこかで書いたかもしれないけど、「科学者の社会的責任」という言葉にはちょっと抵抗があるんだよね。 「科学者の社会的責任」は、「給料をもらっている分だけ仕事をする」くらいだと思う。 「科学の素養を持った市民としての責任」という言葉だと受け入れられるかもしれない。 「科学素養を活かした、社会への貢献の仕方」とかいう言葉だと受け入れやすいかもしれない。 例えば、1日24時間のうち、自分や近しい人が生きるために23時間くらいは使わないといけないかもしれない。 残りの1時間は何に使っても良いとしよう。遊びにつかっても良いし、だらだらしても良いし、勉強をしても、仕事をしても良い。そして、社会貢献をしても良い。 科学者は科学の素養を持っていることを強みに、社会貢献をすることができる。科学素養をあまり持っていない人だって、持っていない人なりに社会貢献をすることができる。 「科学者の社会的責任」と言われると、科学者だったらかならずしなきゃだめって感じがしてしまう。科学的素養を持っていない人は何もしないで良いように聞こえてしまう。 科学素養を持っている人も持っていない人も社会に貢献するという前提があるなら良いんだけど。一方的に科学者には責任があるって言われても困る。 みんな社会貢献はするけど、科学素養を持っている人は、できれば科学素養を活かした貢献の仕方をして欲しいな、っていう感じなら良いかな。 科学素養を持った人が、必ずしも科学素養を活かした貢献をしなくたっていいし。 でも科学素養を持っていない人には、科学素養を使った貢献はできない。科学を学び、科学素養をつけることはできると思うので、身につけた後で貢献することはできる。 人は何に動機付けされるのか?というのは興味がある。 それは大学という研究教育機関に何年もいたからという理由もあるだろう。 父母が教育・研究に関わる仕事をしていたというのも関係あるかもしれない。 自分ががんばれるときとがんばれないときとの違いは何かな?って思ったりする。 目的とか。長いスパンの目的、短いスパンの目的とかあるね。 危機感に由来する動機。快楽に由来する動機。動機はいろいろなものに由来する。価値観とも関係が深い。 「自分が力を入れたい」と思う事じゃないと、人は動けないのではないだろうか? お金、権力、暴力を使って人を動かすことができるというのはある。でも、それらを使わないで人を動かす方法は何だろうか?っていつも考える。 知的好奇心とか面白いとかそういうのも大事だとは思う。 社会の維持存続・発展のために社会全体としてリソースをつぎ込まないと行けないことはある。 社会における優先順位問題は、予算で決まる。国会の重要な役割は、法律を作ることと予算を作ること。ほかにもいくつかあるけど。 予算がついて、業務として、科学者がやるべき事というのはある。