その4「体感的に知っている」

25歳以下は読まないこと。

Sato:社会常識を体感的に知っていること。それが羨ましい。
Sei:どういうこと?
Sato:それを論理的というか理屈で構築して社会と馴染むためには苦労する。
Sei:? 私はどちらかというと、"体感的"かな。
 そんな苦労があるなんて思いもしないよ。

・・・

Sato:「相手は深く考えている」って思ってたのに、思った以上に浅はかだったら
 がっかりしてしまうでしょう?
Sei:論理として明確化されていなくても有効な経験則というのはたくさんあるから。
 経験者の判断は尊重したいところではある。ケースバイケース。

・・・

Sato:知識の羅列としての常識を知っていて、
 その背後に潜む論理を知らない人に苛立つことがある。
Sei:私のことを含めて?
Sato:含めて。そういう場合もある。
 うーん、でも論理なんてどうでもいい、って思うことも多々。
Sei:式を覚えていて毎回演算を行うよりも、
 数少ない対応関係を覚えておくほうが、楽で有効ということがあるし、
 生きていく上で必要な大半はそういうことだしね。
 省エネルギー省スペース。
 ここらへんの問題を考える際に、
 『自由は進化する』(ダニエル・C・デネット)とか
 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』(ニコラス ハンフリー)
 とか読むと参考になるかも。
Sato:うん、まぁ、だから、私の苛立ちの多くは的外れかな。
 重箱の隅をつついてる場合じゃないだろう、と私自身に対しても思う。

・・・

Sei:"論理"はどんなときに必要?
Sato:新しい規範を作るときに必要。
 論理を知らないから新しい規範を作ることができない。
 能力がないということに気がついてすらいない。
Sei:そもそも能力というものはそういうものかも。