『数学をつくった人びと I』(E. T. ベル)

p.308

一面からみれば、ラグランジュの経歴は奇妙にもニュートンのそれと似通っている。第一級の大問題への長い間の精力の集中は、中年までにラグランジュの情熱をさましてしまい、彼の精神こそ以前と同様に強かったとはいえ、数学に対しては無関心になってきた。四五歳という若さで、彼はダランベールにあてて書いている。「私の気力はだんだんと衰えてゆくようです。そして、今後一〇年もなお数学をやっていくつもりはありません。坑道はもうあまりにも深く、新しい鉱脈が発見されないとしたら、見捨てなければならなくなるでしょう」と。

この手紙を書いたとき、ラグランジュは病気で、憂鬱症だった。といっても、この手紙は真実を伝えていないわけではない。ダランベールが死の一ヶ月前に書いた最後の手紙(一七八三年九月)は、ラグランジュ心理的な病気の唯一の治療法として、仕事を勧めている。「神の名においてお願いします。仕事をやめないでください。仕事こそあなたの最大の慰安なのです。さようなら、おそらくは永遠に。この世の中でだれよりもあなたを愛し、尊敬している男を少しは記憶にとどめておいてください」。

「仕事こそ最大の慰安」ですか。

生きるために仕事をしているわけなのだけど、生きるためだけなら、こんな仕事を選ばなくても私は良かったのだと思う。

私の場合、「自分が生きた証みたいなものを何に求めるか?」という質問を受けたときに、(略)。