学術的ロボット研究の問題点について 産業技術総合研究所 荒井裕彦

http://staff.aist.go.jp/h.arai/robotics/jra03.pdf

ロボット研究は工学の枠組みにある以上,例えば論文のイントロダクションにおいて研究目的の説明が要求される.一般の研究者の対応として,それは多くの場合,研究を正当化するために作り上げたフィクション(仮説)である.そこには,ある程度の「もっともらしさ」は求められるものの,厳密な真偽の検証は要求されない.つまり学術的研究としての評価上もっとも重要な論文の査読過程において採否には影響しない.一方,いったん論文が採択されると,こうした虚構の研究目的を含めて研究内容がオーソライズされることになる.

これは、気になっていたことの一つ。端的に言っている。


フィクションに関して、どれだけリソースをつぎ込んでいいのだろうか?というのは大事な問題だと思う。定量的に扱うのは難しいことだけど、オーダーの見積もりは必要だと思う。

このようにして人為的に作られた研究目的は研究の存在意義を肯定するのに都合良くできているため,同じ系譜の研究においては正当化の理由が継承される.また,先行研究の存在自体が後発研究を正当化する.

確かにそうだ。
悪しき前例主義に陥る危険性はあるな。

こうした再引用が繰り返され,多数の研究者間で流通するうちに,フィクションがあたかも検証された事実であるかのように錯覚され,独り歩きを始める結果となる.

それが、研究を駆動する良い場合もあるけど、まったく意味のない物に振り回される危険性もある。


しかし,これらがはたして妥当な予測だったかどうかは大いに首をかしげざるを得ない.上のグラフを見ても,2006年の時点では大ざっぱに言っても約2兆円の市場規模がなくてはならない.生活分野・医療福祉分野・公共分野の非製造業分野は合わせて1 兆円強という予測だが,現在ではそれらは100 億円に満たない程度に過ぎない.予測にせよ達成目標にせよ,5 年経過してその実現の比率が1%に達しないのでは,どちらの機能も果たしていないと言っても過言ではないと思われる.もしこれが学術論文であれば,実験結果に対し99%の誤差があるシミュレーションなどは,査読の段階においてたちまち却下されるであろう.

うーむ。正論である気がする。

根源的には,市場規模の予測と現実との間に大きな落差が生ずる原因は,予測を誰が行っているかということにあると考えられる.つまり21 世紀報告書でも,あるいはビジョン報告書(P17参照)でも,それは主に「こちら側」の人間,ロボット関連の大学・研究機関・企業によって作成されている.市場規模を大きく予測するほど(たとえそれが外れても)将来的に直接間接の利益を受けうる立場の組織である.これは広い意味で利益相反の問題に抵触するのではないか.「データの公正さ」ということが実にさまざまな分野で社会問題化している中,こうした報告書の作成に係わった研究者は,予測の誤りについて専門家としての説明責任を社会に対して負うと筆者は考える.

アカデミック(だけではないかもしれないけど)に潜む大きな問題である気がする。企業が将来の市場規模を予測して、お金を投資して失敗したら損をする。下手をすると会社が潰れる。でも、国がたくさん予算を出している大学や研究機関は潰れない。

国の経済規模を考慮した上で、ある種の分野に過度な予算が配分される事は、好ましくないことだと思う。

ここらへん、温暖化に関しての議論とも関係有りそうだな。

筆者は上記の対抗予測について,NPO言論責任保証協会による言論責任保証事業を適用した言論発信を行っている.すなわち上記NPOに預託金として私財10万円を預けてあり,万一予測が外れた場合には預託金が没収されることになっている。(中略)筆者の予測が正しく,次世代ロボットの市場規模が1000 億円に満たない場合は預託金は返還される.予測が誤っていた場合は個人として金銭的損失を受ける危険を負うことを宣言し,内容に対する確信の念と一定の責任負担を表明するものである.

自分の言論にお金をかけるのか。すごい。