宗教とかそういうの

特に年齢制限なし。

Kana:聖母さまと言われる方が処女で妊娠したわけではないのも、教祖様が手品師の真似事の奇蹟しかおこさなかったのも本当なのですか?
Sono:歴史を紐解けばそれが妥当な解釈というものだね。
宗教はね、定着する地方にカスタマイズ、ローカライズされて初めて浸透するものなの。沙漠を渡っていた人たちの常識が森の人たちの常識には適用できないからね。
Kana:神を信じていますか?
Sono:どうなんだろうね。私は、自分の理性で割り切れないこと・・・、運命っていうと仰々しいな。そうだね。例えば出会いは神が決めているのかな?って気もする。決めている・・・、そこに意図を読み取ろうとしてしまうのはたぶん人間の性(さが)で、その性を超えられる人は神を信じる必要はないかも。ストーリー性を読み取るところに神や運命が生じる。「多原因、多結果」を単純なわかりやすい因果関係で結ぼうとする。難しいシステムを考えるより、神の意志で済ませるほうがもしかしたら、思考労力を使わないですむから楽かもしれないね。割り切れないものを、割り切れないものとして受け入れることができる人にとっては神はいらないんだ。私はそういう人を強いと思うし、尊敬できる。意味をつけようとして、安心しようとする人の中に神はいる。
Kana:もう一度聞いていいですか?神を信じているのですか?
Sono:信じるって言うのかな? 難しいな。がんばって説明してみる。私は、ある種の理由付けの衝動が人にあると思う。それが神を生み出していると考えている。その理由付けの衝動の存在は疑いえない。だから万人が神を必要とするとは思えないし、万人が神の存在を信じるべきだとは思わない。神の存在を信じることが害悪になることもあるだろう。宗教には嘘もたくさん。それは人間が作ったものだからね。正しい科学的知識と、社会の知識、経済とか歴史とか倫理学とかそういうのがないと見誤ることがある。信じ続けるためには、疑い続けなければいけない。疑い続けることが神に対するということだ。キリスト教旧約聖書を知っているよね。其の中でヨブ記っていうのがあるけど知っています? 神に対する個人を描いている。神と対等な感じがとても面白いと私は思った。
Kana:質問に答えてもらっている気がしないです(苦笑)。えーっと、質問を変えますね。神ってもう一人の自分でしょうか?
Sono:うーん、そうでもないかな。