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メモ。
2003/03/26/Wed
◇13:00-24:00
◇卒業式
追記
卒業式に出なかったのは秘密。
今日は卒業式でした。ふう。
普段会えない人といっぱい話しました。
Miyake氏、Kishida氏、Nishimura氏をはじめいろいろな人と話しましたね。
振り返ってみるともう会わない人もいるかもな、って思います。
ちょっと寂しいかな。
・・・
思うのですが、こういう、卒業式とかそういうのを経ると、ちょっと歳を取ったな、って思います。みんなは社会にでていろいろと活躍するんだろうな。
・・・
歳を取ったな、って感じるのは自分を見てていてもあんまり感じないかな。
他者が変化するのから気がつく気がします。
毎日あっている人といてもわからないんだけど、
普段あっていない人と会うと、
けっこう変化していて、その変化までの時間を想定し、
時がたったことを認識するのです。
不思議なものです。
みんなどんどん大人になっていくのに自分はどうだろう。
知らないうちに取り残されていくような気がしないでもないです。
二年間のうちに自分はいろいろなものを手に入れたと思います。
ただ、それがどれだけ意味がありどれだけ価値があるのか?
他者に誇れることなのか?
ひとまず将来の自分に釘を刺して起きましょうか。
学会が終わるまでひとまず忙しいのでその後のことになりますが。
自分を律してください。
自分の今まで成したことの成果を客観的に見積もりなさい。
日々の生活をなぁなぁに終わらせないでください。
何をするのが良いことで何をするのがわるいことなのかを見失わないでください。
そうですね、他者が私を評価してくれるさいに感じることは、
私は最低ではないけど、たいして良くもないということ。
後悔しても意味のないことは後悔しない。
そういう割り切りができるだけのことができるように。
それが目標。
なんかいろいろ諦め気味。譲れない一線はあるかな?
http://www.gakushuin.ac.jp/%7E881791/d/0303.html#30
実験にしても理論にしても、既存の物理のネタをいっぱい詰め込んで、曲芸のような仕事をして、けっきょく秀才的に予想通りの結果がでました、なんていうノリでやっていて面白いわけがない。そういう人たちは、いろいろな事情で、その分野のそういう方向で仕事をするようになり、ほどほどに成功した結果、分野を引っ張る立場にあるとかいうことになってしまったので、もう面白くなくても、仕方なく、職業人として、そういう研究を続けているのですよ、きっと。なんか、そうとしか思えない人ってけっこう多いのだ。(あんまり詳しく書くのは何ですが、大学院の途中くらいから、物理への素朴な憧れを「封印」して妙にサラリーマン的に生きるようになる人を、少なからず見てきた気がする。そして、(その一部は)そのままの生き方を続けて「一流」になってしまう・・)
2003年の3月に私はこれを読んだ。意味があんまりよくわかっていなかったと思う。今でもあんまりよくわかっていないのかもしれない。
つまんないことで一喜一憂していないで、本当に大事なものを追わなければ・負わなければいけないですよね。