日本統計学会創立75周年記念出版『21世紀の統計科学』(全3巻) 増補HP版 (2012年1月)

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/atstat/jss75shunen/

2008年に日本統計学会75周年記念出版として刊行されました国友直人・山本拓監修『21世紀の統計科学』(全3巻)の増補版を,日本統計学会のホームページを通じて提供することとなりました.本書の増補版のオンライン公開が統計科学の今後の発展に資することを期待しております.

第I巻 社会・経済の統計科学 (国友直人・山本拓編)
第II巻 自然・生物・健康の統計科学 (小西貞則・国友直人編)
第III巻 数理・計算の統計科学 (北川源四郎・竹村彰通編)

ただ!

New to Oxford Journals in 2012

http://www.oxfordjournals.org/our_journals/ptep/

Progress of Theoretical and Experimental Physics (PTEP) is a new international journal that publishes articles on theoretical and experimental physics. PTEP is the successor to Progress of Theoretical Physics (PTP), which will terminate in December 2012 and be merged into PTEP in January 2013. PTEP will be a fully open access, online-only journal published by the Physical Society of Japan.

めも。

伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その12

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120320/p1 の続き

論文が掲載された後、先生に、何故あれを投稿するべきと見なしたかについて尋ねてみた。


「価値があると思ったからだよ」と、先生はとっても軽い調子で答えた。


どういうところに価値があるとみなしたのだろうか?何故先生はこれを面白いと思ったの?どういう基準でこれが論文に値すると思ったのだろう?膨大な背景知識からそれが面白いと直観したのだろうか?先生の琴線に触れたのかな?それならどういう点で?これらは今までずっと思っていた事。あたしのうちに秘めていたこと。あたしは、その疑問を先生にぶつけてみた。


「まず、着眼点かなあ」って言われた。


「あとだね、あの簡単な数式。とっても初等的だよね」
「うんうん」と先生は勝手に頷きながら言う。


「最初、『あれ?』って思って。『変だなあ』って、思って。『やっぱりいいのかな?』って思って。『何であうの?』って思って。『もしかしてこれは凄いことかも』って思って。『でも当たり前だな』って思って。『でもなんでこれに誰も気がつかなかったわけ?』って思って。『この方法論はいろいろな所で適用できそう』って思って。そういうのが頭の中をぐるぐる回っていたと思う」
何か、遠くの方を見つめるような、そんな表情で先生は言う。

新しい知識を得たときに、あたらしい謎が生まれたときに、頭の中でなにかがぐるぐる回っている感覚というのはあたしにもわかる。ある程度整合的だった物に、新しい要素が組み込まれることにより整合的ではなくなることがある。今までの自分の持っていた知識体系を大きく変化させなくてはいけない時に感じる感覚。


「最初に、とにかく驚いた。そして美しいと感じた。そして、これはちょっと時間が経ってのことだけど必然だなって思えた。なんでこんなの単純な事を、僕も含めて誰も思いつけなかったんだろうって思った」
先生は右のこめかみに右手の人差し指をあてて、少し目を細めている。それは、何かを思い出そうとするときに先生がする動作だったと思う。

あの当時、先生がそんなふうに思っていたとは・・・。あたしの想定外だ。

先生は軽く目を瞑って、ゆっくりと話した。
「着眼点と数式以外はねえ。当初のレポートは、論理展開もめちゃくちゃだし、図とかもわかりにくかった。あのままでは駄目だった。でも、扱った問題は面白いと思った。扱った手法は誰しも考えるものとも言える。でも導出した微分方程式がやっぱり面白かった。前提条件とか間違ってたし、途中計算も間違っていた。でも結果の式はあっている」

論文を作成する段階で、過去の文献を当たったりしながら、いろいろあたしも考えたし、先生ともその後何回も議論を行った。もう間違いだらけだと言って良かった。でも、最後の結論の数式だけは紆余曲折を経た中でも最後まで生き残ったのだ。

先生は続ける。
「扱う主題、そして結果が良かった。新しい道が開けるような。フロンティアを発見したようなそんな気持ちだねえ」
これはちょっと大げさかもしれない。先生は誇張気味な時があるのだ。


「何回も言っているけど、研究者の仕事は"問題を発見すること"。大きすぎる問題に対しては、それを解決するための"別の小さな問題を発見すること”、でも良いよ。"解く事ができるものに帰着すること"も、大事な仕事だね」
それは、研究を続けていて感じたことの一つでもある。


「誰も問題だと思っていなかった問題。数理化できない問題だと思われていた物。あなたは数理化できると直観し実際にやってのけた。そこがすばらしい」
自分が考えた問題にはとっても愛着がある。でも、それがどれくらいすばらしい事なのかって言うのはいまいち掴めていないところもある。でも、先生にとっては、すばらしいと思えることのようだ。


「図の作り方や論理展開についてはある程度は他者の力を借りれる。でも、問題点を気がつくことだけは他人の力を借りることができない。そこが最も大事な所だよ」
試験とは違う事。いろいろな人の力を借りても良い。でも、問題を見つけることは誰も助けてくれない。それが研究者と研究者じゃない人を分かつ基準だと思う。


「複雑な何かから、そこに面白い何かがあると直観し、大事な要素を抽出し、とにかく力尽くで結果を導く。洗練されるのはまた後でも良い。あなたのレポートを最初に見たときに、そういうスピリットみたいなものを感じてやっぱりびっくりしたんだ。そういうのができる人が、どういう経緯か知らないけど、ここにきたんだなあって」


そんなふうに先生はあたしのことを思っていたのか、ってあたしはその時にびっくりした。不覚ながら、じーんときた。「長い付き合いでも、相手が自分の事をどう思っているかを案外聞く機会はない」ってそのときに思った。



先生は本当にびっくりしたのかな?

基本的に、先生は故意に嘘は言わない。でも、前提条件を明確にしないことはある。それは、先生にとって当たり前すぎるからだろう。「これって、こういうことですか?」とあたしが質問してみると、「こんなことも知らないの?」と、呆れ顔で言われることが何度もあった。そういう返答にカチンと来ることも多かった。答えを聞いた後も、「そんなのわかるかよ!」と毎回のように思っていた。でも、時間が経ってみれば、先生が「こんなことも知らないの?」と言った理由もわかる事が多い。昔の事を思い出して、「不勉強で思慮が足りませんでした、ごめんなさいごめんなさい」と頭の中で謝っている。直接謝らないのは、時間が経ちすぎて今さら感があるから。


先生は思っていることを比較的ストレートに言う。でも、ストレートに言われたことがそのままあたしに理解できるかと言うと、また違う。あたしが考えるための手がかりだと思っていつも聞いている。結局理解という物は、自分の頭の中でするしかない。


先生は本当にびっくりしたのかな?昔の事だし、先生の考えが変化しているって可能性もある。でも、印象深かった事であるならば、本当にそのときにびっくりしたのかもしれない。

「その13」 http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120322/p4 に続く