- まぁ、物理屋さんの常としてそう思ってしまうのだろうけど。・・・否定的な言い回しで申し訳ないとは思うのですが。
- 面白さをどこに感じるか?というのは人それぞれではあるのですけど。
- 全てを理解しないと意味がない、って事にはならないと思う。とは言うものの、どこまで理解すべき?って言うのはいつも考えていないといけないですが。
- 答えがあるかどうかわからないパズルを解くようなもの。でも、過去にとかれたパズルを見て、どんな概念がパズルを解くのに役に立つのかを知ることができる。解けるパズルであるかを吟味することができる。現時点で不定というのも一つの答えにはなる。当たり前のように今使っている概念も、昔はパズルだったはず。
- 物理はおもちゃみたいなものだと思う。おもちゃで遊ぶつもりで物理をしてしまう。やめろって言われても物理を考えてしまう。夢の中で物理の夢を見てしまう。そういうのが物理学の研究者になりたい人なのかな?
- お金を貰って研究している人は義務感からも研究しているかもしれない。
- モデルを作り、それを検証すること、というのを繰り返すのが科学の営み(のある側面)。
- 修士の学生は、修士論文を仕上げる、って言うとっても大きな目標がある。それのためにみんな頑張ってはいる。
- やっていることが面白い、って思って欲しいな、って思う。大学院まで進むんだから、物理が好きなんじゃないの?って傍からみたら思うかもしれないけど、(略)。
- 自分の好きなことをしたい、という理由で道を選ぶ、というのが良いことなのか悪いことなのか私にはよくわからない。というかケース・バイ・ケースかな。
- 理解させることと、印象付けることは同じではない。だから、理解させることに力を注ぐだけではなく、印象付けることにも力を注がなければいけない。そういう理屈はわかる(もしくはわかった気になれる)。でも、それを実際するのは大変だ。がんばりましょう。
- 「科学的ってどういうことか?」は案外(?)難しい。科学的に説明できることを、霊とか神とかを使って説明しなくても良いじゃないか?って思う。
深く考える時間がないので、箇条書きメモ。