〜の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ

後で書き直すと思うけど、とりあえずメモ書き。

力学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
解析力学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
相対性理論の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
熱力学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
電磁気学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
統計力学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
光学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
流体力学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
波動の概念の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
量子力学の形成の為に必要だった思考の飛躍を述べよ。
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力学は、慣性とか加速度とか力の概念の再定義ですかね。日常用語を物理用語に置き換えるということが顕著に表れる。保存則とか、万有引力とかの概念も大事かな。
解析力学では、作用という概念かなあ。位相空間とかもここに入るかな?
相対性理論は、光速度一定とか時間の再定義や質量の再定義とか。
熱力学は、第一法則、第二法則、第三法則。やっぱりエントロピーという概念が強力。あと、自由エネルギーとか、相転移とか。




あー、なんか書いていてうさんくさくなってきたのでちょっと中断。それぞれの学問領域において、ブレークスルーが生じるために必要だった概念というのは、どのようなものだったのだろう?って思ったりする。



私の父親は原子核物理とか粒子加速器が専門だったような気がする。あと高周波(MHz帯)技術なども詳しいらしい。原子核物理では、殻モデルとか液滴モデルが云々、と昔言っていた気がするのだけど忘れてしまった。


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なんらかの隠れた規則性を見いだしたい、というのが物理を研究する者の大きな望みだと思ったりする。


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私の大きな研究テーマの一つは量子的な性質と古典的な性質の間みたいなのを探りたいと言うもの。すんごい抽象的だけど。さらに大きなテーマなんだけど、人が何かを理解するとはどういう事なんだろうか?って言うのも私の研究テーマだったりする。まあ、なんというか科研費の申請書類に書けるようなテーマじゃないけどね。何を以て理解したと見なすか?というのはおもしろい問題だと思う。理解するという事の一部は、モデルを作ること、だったりもする。何かに帰着させることだったりする。


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理解するとはどういうことか?という問題意識は、『部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話』(W.K. ハイゼンベルク ISBN:9784622049715)という本を読んで以来に引きずっている問題意識の一つ。


p.68にはこんなことがかいてある。

「もしも原子の内部の構造が直感的な記述では、そんなに近づきがたく、あなたが言われるように、そもそもそれについての言葉も持ち合わせていないなのならば、いったいわれわれはいつの日に原子を理解できるようになるのでしょうか?」

というハイゼンベルグの問いに、ボーアはこう答えます。

「いやいやどうして、そう悲観的でもないよ。われわれは、その時こそ、"理解する"という言葉の意味もはじめて同時に学ぶでしょう。」

と答えます。

理解するとはどういう事か?については、いろいろな言葉で語られていきます。

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『磁力と重力の発見 第3巻――近代の始まり』(山本義隆)の三中信宏さんによる書評。
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/physics-history3.html

ローカルな科学における概念形成史をケーススタディとして追求した本書は,単に物理学史の書物というだけにとどまらず,もっと一般的な「自然思想史」とみなされるべきだ.物理学のたどってきた道を生物学のそれと比較してみると,両者のちがいは明白だろうし,そのちがいが何に由来するのかを探るのはきっと本書と同じ1000ページの本を要求するだろう.存在の学としての形而上学は,なぜ物理学では〈無害化〉できたのか,それにひきかえどうして生物学では形而上学が〈野放し〉のままなのかを問いかけることは意味のあることだろうと思う.クラスと個物のちがい? それとも,歴史上の偶然?

この文章は、昔も読んだと思うんだけど、『分類思考の世界』(三中信宏ISBN:9784062880145)を読み終えた後だともっとおもしろく感じる。


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http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20100117/p2
で、触れたけど、物理学だって、形而上学は野放しというわけではないけど、必要なものなんだと思う。価値観とか哲学とかそういう言葉とも関係あるかもしれない。

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まあ、基本的にこういう事を考えても就職にはつながらないし、金にもつながらない。もっと極めれば別だけど。

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『分類思考の世界』のp.99に「方法論的本質主義」と「心理的本質主義」というものの解析があっておもしろかった。人は生まれながらにして本質主義者なのだと言う。

本質主義(essentialism)とは、あるものを定義する「本質」があるという考え方である。この言葉を最初につくった哲学者カール・R・ポパー(Karl R. Popper 一九〇二〜九四)は、現実世界を本質主義に従って理解しようとする態度を「方法論的本質主義」と定義した。

一方、それとは別に、認知心理学ではものに本質があるとみなす心理(性向)を「心理的本質主義」(コーンブリス一九九三、ジェルマン二〇〇三)と呼んでいる。これまで蓄積されてきた研究によれば、われわれはヒトは事物の背後に見えない「本質」が潜んでいて、その本質がうわべの現象世界を動かす真の原因であるとみなす心理がつねに発動するという。

物理学者というものは、心理的本質主義の衝動に駆られつつ、方法論的本質主義を行う人達なのかな?


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昔、こんなメモを書いた。
2003/12/19/Fri

http://d.hatena.ne.jp/Ririka/20031214

形而上学の話題が出ています。コメント欄を読んでいると、形而上学って数学ですか?って感じがしてくる。物理っぽい要素もあるみたいなんだけど、物理は我々が生きているこの世界に当てはまるもの、っていう要素が強い気がするし、そもそも物理のmetaでなければいけないので違うのかな。

形而上学というものが存在するなら他の科学分野との関係も気になるところ。

言葉のニュアンスで話を続けるのもなんなので、せめて辞書くらい引こうと思った。
「旺文社 国語辞典 第八版」によると、

形而下
 1かたちあるもの。物質的なもの。有形
 2[哲] 感覚器官で知覚できるもの。自然現象など時間・空間のうちに形をとってあらわれるもの←→形而上

形而下学
 感性的経験で捉えられる自然現象を対象に研究する学問。広い意味で自然科学をさす。←→形而上学

形而上
 1形をもっていないもの。精神的なもの。
 2[哲]感覚ではとらえられない無形のもの。精神的・抽象的・哲学的・超経験的なもの。←→形而下

形而上学
 事物の本質や、存在の根本原理を精神の面から研究する学問。宇宙の本体や世界・神・霊魂などがその主要な問題。←→形而上学


やっぱり物理にかぶりそうでかぶらなそうで。

この頃の考え方と、今の私の考え方だだいぶ変化してきたなあ、って思う。不確かで、いろいろ考えても矛盾があるような気がする多くの実験事実の中から、なんとか解釈を見いだしていくということを多くしなければいけないからかもしれない。


物理学の授業などでは、「こんな矛盾があって、これを解消するためにこんな理論ができたんだよ」みたいなことがけっこうある。昔の私は、この矛盾を軽い気持ちで受け止めていたのだ。その矛盾がとんでもなく人を気持ち悪い、居心地の悪い思いにさせるということを認識していなかったのだと思う。そして、矛盾を解消することがどんなにたいへんなことなのかを全然、全くといっていいほど、理解していなかった。


現時点でも理解し切れているとは言い難い。たとえば、アインシュタインは何故天才と呼ばれるのか?については、きちんと理解していないと思う。相対性理論ブラウン運動光電効果、どれもすばらしい業績だ。でも、それだけで彼が超天才だと言える?

何故、彼が20世紀最大の物理学者であるのか?というのはいろいろな人が解説していることだけど、それを読んで、なるほど〜と思うくらいしか理解できていないのだ。

本当に一生懸命考えた人にしか、その天才性は理解できないものなのではないかと思う。


たとえば、『統計力学I』(田崎晴明)ISBN:9784563024376ではこのように書かれている。

Albert Einstein (1831-1955) 文句なく前世紀最高の,そして,おそらくは(今のところ)史上最高の,物理学者である。

さらに、

1905年には,光量子仮説,ブラウン運動の理論,特殊相対性理論という,物理学の流れを変える三つの論文を発表した。

さらに、

一般相対性理論の構築という偉大な業績を始めとした,数多くの超一流の仕事を残した。

まず、このようなことまでは一般的な事実と言えるでしょう。

そして、彼の天才性に触れる。

もちろんすばらしく頭がよく計算力も抜群なのだが,彼の何にもまして偉大な点は,混沌とした実験事実と未完成の理論の中から,何が信頼しうるかを見抜く恐るべき洞察力をもっていたこと,そして,それらを足がかりに次の時代の理論を創造してしまう圧倒的な力をもっていたことだろう。

このような言葉を本当に理解するためには、アインシュタインの論文を読むのはもちろんのこと、さらにその当時の物理学やその他自然科学がどこまでできていたのかを知らないと分からない気がする。

あと、この本は統計力学の本なので、統計力学との関連からもアインシュタインの天才性について書かれている。

アインシュタインというと,相対論にばかり目が向くが,少なくとも初期のアインシュタインにとっては,ミクロとマクロを結びつけることは最大の関心事だったと思われる。またアインシュタインは物理学における確率論的なゆらぎの取り扱いの達人であり,ゆらぎの解析を通じて,統計力学量子論に本質的な貢献をした。ブラウン運動の理論は,その一例である。


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2004/02/20/Friにもその手のメモを書いてあります。

《20a》 けーじじょーがく [metaphysics]

「リリカの仮綴じ」http://d.hatena.ne.jp/Ririka/comment?date=20040211#cで、

形而上学の『可能性の中心』」みたいなことを考えるべきなのかしら、といったことです。』 (2004/02/17 00:04)

とありますね。リリカさんの疑問の一部がやっと理解できた気がした。何故、形而上学にたいして拘りを持つのか分からなかった。私は形而上学なんて知らないけど「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622080311/で得たちょっとの知識から、「歴史的に世界を考える上で、それなりの役割を担ってきたもの」であり、現時点でこれを学ぶより、私にはもっと他に興味を持ててエキサイティングな対象があるんじゃないかな、って思います。

ちょっと恥ずかしい感じのことを書いていますね。この時の私は間違っていたと思います。量子力学にしろ、統計力学にしろ、相対性理論にしろ、形而上学と深い関係があると思います。人の思考様式そのものの変化を要求するこれらの物理学をすばらしいと思うのなら、形而上学とか哲学とかそういうのは無視できない。物理学を学んだり研究したりすることは、形而上学とか哲学とかのある部分を考えているのと同じ事なのではないかと思う。