書くこととか

  • 訃報を自分の「ブログ/日記」に書いたりします。「この人の死を残念に思う」ということを「書く」のも弔いの一つの形だと思います。
  • 訃報記事を書くのは、けっこう重いです。書いたずっと後になって、私の悲しみが薄れた頃に、メールやコメントが来て、また重い気持ちになることがあります。
  • 訃報を書くべきではないと助言されたこともあります。
  • 関係がないと思っていたところに繋がりがあると、嬉しく思ったり悲しく思ったりすることはありますね。
  • 人の死の情報は、インターネットを介さなくても、そこそこ伝わる物です。ですが、ネットを介して知る人もけっこう多いのだと思います。だから、情報を出すのは意味がある。
  • 私がある種の情報を書くのは、そのことに興味関心があることを示す。そして、情報を書くことにより、新たに情報を集めることができる。
  • 私は話すことが苦手なので、自分の足りないところをネットで補おうと思っている、という側面はある。(通常の付き合いだけだと、真面目な人だとかきちんとしている人だとかそういうような過大評価される傾向があり、これは危険というか安全側ではない)
  • しゃべった言葉は消えてしまうけど、書いた言葉はある程度の時間は残る。多くの人に晒される。考えの変遷もある程度推定できる。だから書くのは少し手間だし、誤解を受けることも凄い多いのだけど、書いている。