大学院教育

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20070530/p3#cメダパニさんのコメントを読んで考えたこと。

国が投資するということは、社会に有益な人材の育成を目指す、ということだと思います。

駄目な人材が増えても仕方がない。良い人材が増えればよいこと。良い人材を作るのにどれだけお金がかかるかも忘れてはいけないですけど。投資に見合った人材を多数輩出できたのであれば成功でしょう。

大学側の思惑や、企業側の思惑などあって、今の制度になったのだと思います。大学院(修士)全入ということになっても、いろいろ補完するシステムを作ることによって対応は可能かとも思います。別に全入にこだわるわけじゃないですけど。とりあえず数を入れて、ポテンシャルのありそうな学生だけ徹底的に仕込んで、あとは放置、という考え方をする人もいるでしょう。企業とかもそういう側面はあるのではないかと思います。



学生側が大学や企業の思惑に乗るにしろ乗らないにしろ、現在のシステムがどのようなものなのかを把握することは大事だと思います。

しかし、産官学の指導的立場にある人のヴィジョンというのが私にはいまいちわからない。うっすらとはわかる気もするけど。そして、運用段階で大丈夫なのかと疑問に思うこともある。でも、この問題設定は私には大きすぎて、考えることを躊躇してしまう。目の前のことをやらないといけない、というのもあるし。

どういうシステムが良いのか?というのは上の人たちも試行錯誤しているのではないかと思う。試行錯誤のプロセスを残しておけば、少しずつ良いシステムになるのではないかと、私は楽観視しています。