研究と成果の発表

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20070721/p1#cに関連した話題。

現代の日本では、"少し"の適性と"少し"のお金とやる気(←「適性×お金×やる気」が一定の水準以上にならなければいけないというのは当然であるわけですので、変数の束縛条件が・・・(略)。別に線形であるかとか(略)。)があれば、研究というものを職業として選ぶことができます。これはとってもすごいことだと思います。お金や時間がなくて、研究というものに時間を費やすことが出来なかった多くの時代や多くの世界の人々と比べて。それに対応する義務くらいはまぁ仕方がないかな、とも思います。これは私の妥協なのかもしれませんが。


職業研究者の研究というものに対して、現在でもかなりの自由が許されていると私は思います。そもそも研究とは、研究者個人の「未知のものを知りたい・新しいものを作りたい」などの欲求がとっても大事なものだからだと思います。社会が、研究者の自由をある程度保障してくれるのは、「研究者たちを"ある程度"自由にしておくことが社会にとってプラスになる」という前提を認めているからだと思います。それは、多くの研究者たちが、それぞれのミクロな利害関係はあるものの、マクロとしては社会に自己の研究を還元し役立ててきたからだとも思います。そういう流れの中に私自身もいると思っています。