占いに関する私の考え方とかに関する過去のメモ

下記は下書きとして書いたものや非公開にしたメモから抜粋したものです。

2001年10月11日

京極夏彦の『ルー・ガルー』を読んだ。
何故人殺しはいけないか?がわたし的には納得ができるようになってきた気がする。
あと占いのことも面白かった。神に祈ることについてとかも。

2004年5月16日

占いも「○○と△△が相性がいい」とか言うのが嫌いなだけであって、「吉兆を問う」ということ自体は否定しません。世の中どっちでも良いこととか、どっちが良いかわからないことがあるわけです。でも決断はしなくてはならない。そんなときに神意を問うてみるのも面白いかなぁ、なんて思います。

ただ、「吉兆を問う」のは自分の判断能力を超えた限界の話題について扱うべきであると思うので、普段の自分の判断力で何とかなることについては自分の頭で考えて判断すれば良いのです。

あと、神社に行ってお祈りとかを私もしますが、願いというより誓いとか祈念とか言う言葉が近い気がします。ようするに神様見ていてください、私は誓いを守ります・・・みたいな感じ。自分に対する誓約というのは、神様とか使うのが良いと思います。神様は願い事を叶えてくれるわけじゃないので。他にもいろいろ神様の使い方はあるみたいです。神様は用量用法を守って正しく使いましょう。

2006年3月8日 占いにもいろいろあるのですが

何らかの行動を決めるさいの手続きとしてなら私は許容します。AとBとの方法があったとして、どっちがいいかわからないけどどっちかを選ばなければいけないときとかに、所定の手続きにのっとって決めるのはありだと思う。

ただし、その決定に必ず従う、という決意がないなら占いを使用する資格はない。

古代の占卜とかでは、良い卦が出るまで何回もやり直したりということもあったらしいですけど。神意を何回も問うなんてね。神意の意味が失墜する。

2006年7月17日 なんかどうでもいいこと

「私の信じてる宗教だと、血液型性格診断は信じてはいけないのですぅ」
「20代前から続く家訓で、血液型占いには手を出してはいけないんですぅ」
・・・みたいな人をおちょくるというか、馬鹿にするというか、揶揄するようなことばかりするのはやめましょう。

2006年7月17日 どのつながりを信頼できるか?

血液型占いとかを信じている、採用している時点で、その人の科学的な見方とかが疑われることを気がついていないのかな。もちろん、信じているひとでも立派な仕事をする人だっていると思うけどね。

でも、そういうのを信じている時点で、やっぱり駄目だと思うのだね。その人が話す他のことも、血液型占いレベルなんじゃないの?って気がするし。

つまり、そういう人とは科学の話をしても、・・・(略)。宗教の言説と科学の言説の違いは、何かというと・・・(略)。私もけっこう騙されやすいのですが。

ある程度科学的な知識を持った人の言説は信じたいと思うのだけど、案外専門外だったりするとだめだねぇ。つーか、私も知識がないから、騙されていたとか、嘘信じ込まされていたとか、よくあるのですが。

どうも最近疑り深くなって、「その情報はどこに載っていました?」とか「本当に正しいの?」とか聞くことが多くなりました。

あとねぇ、なんか特殊なことが面白いから、特殊なことを誇張してしまうことがあるのですね。それは人の性だとも思えますが。全体を考えればその寄与なんてどうでもいいくらい小さいのに、それをさもすごいことのように言ったりするのね。まぁ、ここらへんはディ○ーターさんの得意とする詭弁の1つですし、それが見抜けない人は議論に負けちまうんですが。あとで、全体像がわかって、それを問いただすと、「そんなことも知らなかったの?アホじゃない?」って感じで対応されて、ムカムカムカムカムカとする人格も私の中にいるのだな。

2007年1月13日 また、血液型かよ

その程度でいらいらしているようでは器が知れますが。科学的な思考レベルが〜(略)と思ってしまったり。まぁ、いいんだけどさ。「こいつはA型じゃないよなぁ」って何だよ、それ、って感じ。まぁ、いいんだけどさ。そういうときはニコニコすることにしている日和見の私。変に反応して「それって〜型に典型的な対応ですよね」とかいわれたりするのはむかつくし。

某女の子が言っていたのだが、「血液型による分類は本質的ではないと薄々全ての人が気がついているから、人を傷つけない。だから安易に多用される。他の占いとかもそう。」そして「正しい根拠に基づいて、相手の悪いところなどを指摘してしまった場合と比べてみればいい。」とも言う。「あたりさわりがないことがコミュニケーションをとる上で大事なこともある」とのこと。「会話している内容よりも、会話している事実の方が大事」なんだって。

まぁ、天気の話をするのと同レベルかなぁ、って思うこともあるね。でも、やっぱり、他の考えも、みんなそんなレベルなのかな、って悲しく思うこともあるのでした。