昔のMemo

下記は、昔のMemoです。5年程度前ですが、そのころの問題意識とは今は離れたところにいる感じがします。それで良いのかもしれませんね。





2003/08/22/Fri

相手の言葉を引き出すにはそれなりの状況を用意する必要がある気がする。複数の状況での発言をパズルのように組み合わせ、本音を知ることができると思う。質問に対し、瞬間的に真意を隠すようなフォローをすることができる人がいて、普通は本音に気がつかないのだけれど、別の人がフォローを台無しにする発言をしたりして、それで本音に近いものを知ることができることがある。


会話というのはとてもダイナミックだと思う。それが好きでたまらないという人がいるのも判る気がする。麻薬的な中毒症を起こしそうな類の快感なのだと思う。


ただ、精神的にけっこう消耗するのも確か。



最近、友達(?)と一緒に炎天下の中、お散歩にいった。


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『100人の森博嗣』(森博嗣)ISBN:4840114587、こんなことが書いてあった。

小説に登場する名コンビは、必ず、反発しながらもお互いに尊敬し合っている。自分とは異なるものを認めようとしている。一方的ではいけない。利害や趣味を除けば、あらゆる場合において、これ以外に意味のある、あるいは価値のある人間関係はないといって良いだろう。したがって、どうしてもこのパターンになる。人間関係とは、とても単純なものだ。

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私は友達(?)とはどういう関係なんだろう?相手はどういうふうに私のことを思っているんだろう。

もっと深く言葉をぶつけ合ってみたい、ってたまに思う。でも二人の志向がとても違いすぎる。違うから意味があって価値があるんだけど。


抽象的な話、具体的な話。会話をして人は何を得るのだろう。


家族のこれからとか、理想の自分と等身大の自分とのギャップの話とか、なかなか面白かったです。宗教の話も面白かった。


相手に対して好意をもつ状況でどうなるかって話も面白いと思う。その時間だけだとしても真面目に考えて、言語技術や話術を尽くして戦うつもりで話すことではないか?


だって、なぁなぁで話していても実りある会話ができるとは思えない。


趣味がまったくことなる友人ってとても貴重で大事だと思う。だって、それは自分のベクトルと垂直な「測り」が身近にあるのと同じようなものだから。