自分のD論

自分のD論を読んでいると、schematicな図が少なくてイライラする。違う分野の人に読んでもらうという意図が感じられない。


学生の頃は出来なかったかもしれないけど、もっと深く考察出来そうな要素もあるなぁ、って思う。


今の仕事と関係あることや関係ないこと。なんか感慨深いものがあるかも。

これは、別に研究者じゃなくても感じることかもしれないけどね。

ある時期、ある時期、ちゃんと形になるものを残しておくことは大事なのかも。それがそのときの自分が完全に満足できるようなものではなくても。

私は、私の方法で、生きていくために、世界に切り込んでいかないといけない、って考えたりする。


イライラをバネにしてがんばりましょうね。