知者の皮肉はすさまじい

下記は2004年3月以前に書いたものです。


読み返して思ったことは、私は科学が好きなんだな、ってことでした。というか、それを拠り所としたい、ということかもしれません。それくらいしか拠り所がないっていうことなのかもしれません。

アナロジーの罠―フランス現代思想批判

アナロジーの罠―フランス現代思想批判


『アナロジーの罠』のp.59ページ。

いったいなぜこれほどまでに、知識人社会、なかでも本来ならもう少し理性的であるはずの哲学者集団がほとんど宗教的とでも呼ぶほか無い土台に基づかざる得ないのか、その理由を説明するためにも、ゲーデルの定理が必要とされるかもしれない。

まぁ、ここだけ引用しても意味はわからないんですけど、説明は面倒なのでしない。気になる方は最初から読みましょう。久しぶりに凄い皮肉を読んだなぁという気がしたので引用してしまった。こつこつと、こつこつと、ためてためて、どっかーん、って感じだ。


まだ1/4弱しか読んでいませんがこれは面白い本だ。手元においておきたい本。正直言うと、読む前は、『「知」の欺瞞』を読めばあの手の話はもう十分かなって思っていたのだ。でも、『「知」の欺瞞』とは違う観点がいろいろ出てきて面白いことが分かった。『「知」の欺瞞』では物理学者からの視点であったけど、今度は哲学者の視点だしね。だいぶ違って当然だとは思うけど。『「知」の欺瞞』を読んだときに私が誤解していたことがいくつかあるのに気がつかされた。まぁ、その辺はおいおい書くこともあるかもしれません。


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全部読んでから感想書け、と言われそうですが。現在3/4ほど読んだ。読んでいると知性が発散する圧力みたいなものがある気がしてしまう。ぐいぐい圧迫される感じ。



いつも自分の事しか考えてないみたいですが、私は何でこの本が面白いと思うんだろう、って思った。私の知り合いのうち何人にこの本を薦められるだろう?薦めたうちの中で何人がこの本を全部読んでくれるだろう。残念というべきか、たぶんほとんどこのような本には興味を持たないんじゃないかな。たぶん、読めば面白いと言ってくれる人はいると思うんだけど、そういう人は別のことで興味いっぱいで、このような本は一見敷居が高く見えるんじゃないかな。


何故、私はこの本が面白いのだろう?別にポストモダン思想とか知らないし、フランスの哲学者なんて普段は意識もしていないのだ。明らかな間違いや、濫用を作者が切って切って切りまくるのも確かに痛快で面白いんだけど、それだけじゃない気がする。


何らかの関わりがあるから面白いって思う、のだと思うのだけど何なのかな?


自然科学や社会科学や人文科学など、それぞれが科学を名のるために満たすべき条件とは何なのか?って言うのが面白いのかな。


パラパラパラっと今まで読んだところを捲ってみる。・・・疑問に思っていたこと、不明瞭でどう考えればいいのか分からなかったこと、それらに対して、明確な解と具体的で分かりやすい説明がある。解がない場合も考え方の型を知れる。


・・・うーん、どう言っていいのかな?微妙。


なんとなく感じることは「卑怯な人が言うこと」と「誠実な人が言うこと」との差異を示しているのでは?って気がする。たぶん、ここで批判されている哲学者みたいな感じの物言いをする人は日常生活でも周りにたくさんいるんだ。どう考えてもおかしいと思っても、反論しづらいときがある。何故反論しづらいのか?しづらかったのか?それにどう対処すればいいのか?・・・そういうことに対する示唆を与えてくれる気がする。根拠のない拡大解釈やアナロジーに対してはちゃんとノーって言わなければいけないんだ。


そういえば(自然)科学者が使うアナロジーについて書いてあって面白いと思った。科学者が使うアナロジーの性質はたしか別の本(かネット上の文章)でも読んで心の隅にはあったんだけど、今回この本を読んでかなり明確になった気がする。