数学ガール/フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)
- 作者: 結城浩
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2008/07/30
- メディア: 単行本
- 購入: 35人 クリック: 441回
- この商品を含むブログ (259件) を見る
こっちもついでにリンク。
書籍『数学ガール/フェルマーの最終定理』少女と共に追う、整数の《ほんとうの姿》。
http://www.hyuki.com/girl/fermat.html
まだ読み中。感想1とか書いて2を書くかどうかわからないけど。少々ネタバレがありますが、ご容赦あれ。感想を書くことで、一応販促に貢献しているということで。本を読んでから、できれば読んで欲しいかな。「私はここが気になった」程度のことしか書いていないけど。
p.24の猫の先生に関しては、下記の映画を参考。美しい映像と音楽。そして詩的な台詞の数々。
- 出版社/メーカー: アスミック
- 発売日: 2002/03/22
- メディア: DVD
- 購入: 13人 クリック: 168回
- この商品を含むブログ (166件) を見る
p.72
学校の先生ってさ、《みなさん、わかりましたかあ》っていちおう訊くけど、思いっきり先に進みたがっているんだよね。そんなとき、《わかりませーん》なんていう生徒、いるわけないよ。教室、しーん。そうするとね、先生は次に行っちゃう。なんでそんなに先を急ぐんだろ。
新キャラのユーリの台詞。こういう台詞がおもしろいですね。その後の「怒られない」に関しても面白いと思います。
ユーリは有理数が名前の由来なのかな? テトラは4が由来? ミルカの由来がわからん。
p.76
「わかんない」とユーリがすぐに言った。
「だめ」 ミルカさんが鋭い目になった。「その応答スピードは、考えていない証拠。もっと粘りなさい、ユーリ」
厳しいミルカさんの言葉に、ぐ、とユーリが固まった。
この、「応答スピード」とか読むと、森博嗣の小説を思い出したりする。
それに続く下記も面白い。
p.76
「だって、わかんないもん」ユーリはもぐもぐ言う。
「ユーリは答えられる。間違うのをこわがっているだけ」 ミルカさんは、ぐいとユーリに顔を近付けた。「こわいから、《間違うくらいなら、わからないことにしちゃえ》
と思ってるでしょう?」
私も、そういうことするなー。ちょっと反省。
p.81のベクトル表示に関してですが、知りませんでした。というか、気がつきませんでした。
「幾何は、私たちに豊かな表現を与えてくれる」
溜息。
ベクトルの直交に関しては、高校生で簡単なのをやりますし、大学の初年度の線形代数などでみっちりやるでしょう。物理においても直交というのはたいへん大事な概念です。
p.82の「従妹は・・・」の台詞にうけました。
p.99
「さっきの証明を丸暗記しても意味はない。自分でノートを広げて、シャープペンを持って、もういちど自力で証明しよう」
この後の台詞も良いです。『量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために』(清水明)や、『熱力学の基礎』(清水明)の本の最初の方を思い出しましたよ。
【下線部は8月20日追記】 『熱力学の基礎』(清水明)ISBN:9784130626095.22にこんな記述があります。(なお傍点は斜体に変更した。)
問題1.4 この小節の議論の内容を、最初の2つの式だけ、見て、自分のスタイルでくりかえせ.
注意:以後もこのような設問が出てくるが、丸暗記してくりかえせという意味ではない.それとは正反対に、自分が理解した内容を自分なりに書き出してみよ、ということである。そうやって、自分の言葉でテキストを書くことが、理解に至る最良の路である.
p.100
「数学者は命がけで証明しているんだ」
働きはじめてから、特に、そういうものなのだろうな、と想定できるようになりました。
p.103あたりの「√2は有理数ではないことの別証明」は面白いです。というか、なんとエレガントな証明なのだろうか。
p.106の「矛盾」に関してですが・・・。これも初めて知りました。いわれてみればそうですが。・・・こういうことを高校の頃知りたかった。でも、私の高校生の頃のレベルじゃ理解できなかっただろうけど。
第5章以降の感想は、いずれまた(時間があれば、書くかもしれません)。
・・・
私にとっての物理って、おもちゃで遊ぶ事なんだよね、って改めて思ったり。さて、物理をやるための時間と場所を得るためにいろいろ作業を進めなくちゃ。
・・・
この本には、理系科目の勉強方法が書いてあります。とっても丁寧に記述があります。これは、たいへん重要だと思います。良い本だと思います。
・・・
この本や前作に対して、親和するなー、って感じる理由を考えてみた。私が大学受験のために浪人していた頃や、大学生の1〜2年の頃の数学の勉強法と言うのは、ノートを作ることだったような気がする。それも、対話させるような感じでノートを作る。[超与太話]における対話調の文章とかは、そういうお勉強法の名残だったりするのかな?って思ったりする。