『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』(オリヴァー サックス)

下記は2004年12月4日ぐらいに書いたメモ。転載します。これを書いてから、4年くらい経っているのか。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者


この本は昔ちょこっとだけ読みました。全部は読んでいません。いくつか面白いところがありました。

彼女は著書のなかで、抗鬱剤の功罪について次のように記している。

人生の基本的な意味を知りたいという狂おしい思いは消えた。もう駆り立てられるような思いはなくなり、ひとつのことにこだわらなくなった。この四年、ほとんど日記を書かなかったが、それは抗鬱剤のために情熱の大半が失せていたからだ。情熱が低下して、仕事も・・・・・・事業も順調に進んでいる。リラックスしたので、ひとともうまくいくようになり、大腸炎などストレスに起因する身体の不調もなくなった。だが、もし二十代のはじめに薬を処方されていたら、あのような業績をあげられなかっただろう。ストレスに起因する不調のために身体がぼろぼろになりはしたが、それまでは「過敏な神経」と固着は大きな動機、推進力になっていた。

何故か、こういう文章を読んでいるとどきどきします。人を駆動する力、というものに興味があるからかな。

「わたしは宇宙には善に向かう究極的な秩序の力があると信じています−ブッダやイエスといった人格的な神ではなくて、無秩序から生まれる秩序といったものです。人格的な来世の存在はないとしても、エネルギーの痕跡が宇宙に残ると考えたいのです。・・・・・・たいていのひとは、遺伝子を残しますけれど−わたしは、思想や書いたものを残せます」

『エネルギーの痕跡』と言う言い方は面白いですね。関係ないですけど小学生のころ、自分が宇宙の中で動く軌跡はどのようなものなのだろう、って考えたような気もします。自分から見えなくて触れない糸が出ている感じ。

「図書館には不死が存在すると読んだことがあります・・・・・・自分とともに、私の考えも消えてしまうと思いたくない・・・・・・なにかを成し遂げたい・・・・・・権力や大金には興味はありません。なにかを残したいのです。貢献をしたい−自分の人生に意味があったと納得したい。いま、わたしは自分の存在の根本的なことをお話しているのです。

「自分の人生に意味があったと納得したい」というのを読むと、むむむむむぅ、と唸ってしまいます。どうなのでしょうか。これはとても厄介な問題だとも思います。いつか答えを出せたらいいなと思います。