騙し騙し生き続ける

屍鬼』(小野不由美)

屍鬼〈2〉 (新潮文庫)

屍鬼〈2〉 (新潮文庫)

p.453あたりから、沙子の台詞を箇条書き。

  • 「室井さんは殉教者になりたいんでしょ?」
  • 「そう、神様に殉じて自分を捧げてしまえるような、そういう人間になりたいんだわ。けれども神様の姿が見えない。・・・・・・なぜなら自分が神様に見放されているから」
  • 「絶対的な正義ってもの、理想ってものを貫きたがってるみたい。―――絶対的な正義とか理想って、神様の別名よね?」
  • 「室井さんは神様に忠実でありたいのね」
  • 「けれども室井さんは唯一絶対の神様に奉仕したい。絶対的な正義に対して忠実でないと我慢できないんだわ。神様より優先される何かがあっちゃいけないの。―――でも、自分一人しか信望していない神様の絶対性ってどこにあるの?」
  • 室井さんは神様は信じているのよね。それに奉仕したいと思ってる。殉じられるほど忠実でいたいんだわ。けれども誰も、室井さんの信じる神様を信じていない。それを確認するたびに、室井さんは実は神様なんていなくて、それは単に自分が固執している価値観でしかない―――誰もが持ってる多様な価値観のひとつでしかないことを悟るんだわ。それは神様じゃない。室井さんはそのたびに神様を見失ってしまう」
  • 「神様を信じたい、それに殉じたい、なのに神様が見つからない」
  • 「自分の思い描く神様は理念としては理想的だけど、自分だけのものだから神の名に値しない。かと言って、世の中の人が指し示す(中略)、大勢の人の信仰を集めているけど、理念としては不純で、やっぱり神の名に値しないように見える」
  • 「神様の僕なのに、その神様は室井さんの前に姿を現してくれない。だから室井さんは自分が神様に見捨てられているように感じるんだわ」

ここらへんを読んでいて心が抉られるような感覚を覚えた。かなり悶えた。ああ、そうかって。私って、自分のことを無神論者かと思っていたけど、信仰を持っているという方が的を射ているんだな、って思った。方法論とか戦略とか言う言葉は、照れをごまかしているだけで、私に内在するものは信仰という言葉がピッタリ来る。「そうか」って心の中で頷いてしまった。私は小さい頃から神様を探していたんだ。

そして、未だ、神様を探し続けている。



私は、宗教を調べていたことがある。本をいろいろ読んだり。そして、私だったらどういう宗教を作るかな?って考えていた。大学では、教養の講義の、「宗教社会学」に出てみたりもする。でも、私が信じるに値する宗教は見つからなかった(←傲慢だな)。検索能力が低かったというのもあるだろう。宗教って頭で入るものではなくて、たぶん身体で入るものなんだろうって後々になって気が付いた。体感的なものが大事なのだと思う。宗教って、セイフティネットの面を持ち合わせたり、とっても複合的で、昔の私には理解できるはずもないし、今はもうそんな情熱はないや。

まぁ、いろいろ紆余曲折はあるわけだけど、結局これだけ信じてれば大丈夫、って感じのがみつからないから、いろいろ寄せ集めの張りぼてで精神というか心を、武装というか防御せざる得ない。


私の価値観はいろいろ厄介で、「もっと単純な基準で生きればいのに」って自分で思うこともある。「もう、見栄っ張りなんだから〜」って思ったり。「そんな他人に対して攻撃的にならなくても良いでしょ?それより自分の頭の上のハエを払いなよ?」って思うこともしばしば。

日々を騙し騙し生き続けているのでした。目の前に、自分でにんじんを吊り下げて。