『非線形な世界』(大野克嗣)

非線形な世界

非線形な世界


p.198

ふつう,科学者はデータを圧縮しただけのカーブフィッティングを馬鹿にする.しかし,真に洞察を与えるモデルと‘ただの'カーブフィッティングとは本当にかけ離れたものだろうか.


この後、黒体放射のエネルギー分布に関しての話が出てくる。

つまり,きわめてよく合う実験式は,下手な理論よりはるかに重要である.

なんか、この感覚はわかる気がする。

ふつう,カーブフィッティングとモデルには根本的な違いがあるとわれわれは思いがちがある:前者には「思想がない」のに対して、モデルにはそれを作るためのアイデアがあり,そのモデルが現実と一致することは使われたアイデアに一定の支持をあたえるものである,と.もっともに聞こえるが、カーブフィッティングをするときでもすでに,滑らかな曲線になるようにするなどという,「世界についての一定の見解」が組み込まれていることには注意.カーブフィッティングとモデルとは連続スペクトルをなしている.さらに,現象が複雑になっていけば,情報蒸留の結果としてえられるモデルさえ自明なものではない.複雑な現象(のある側面)を再現するにはたとえそれが単なるカーブフィッティングの結果であれ,記述の道具としての十分な意義がある.

ここらへんも凄い面白い。身もだえるくらい面白い。研究者(実験を行うものは特に)は日常的にフィッティングとかを用いてデータ整理をするけど、その背景にある哲学みたいなものについてここでは書かれている。


まあ、いつも思うけど、こういうのを面白い、って言ってくれる知り合いってあんまりいないよなー、って思ったりする。

研究をしていると、自分は重箱の隅をつついているだけなのではないかという不安にいつも襲われる。なんらかの普遍的なものを見つけたいとおもいつつも、その道のりは遠いって思い、踏破すべき道のりにうんざりする。

でも、自分がメインで興味を持っているとは言えないような研究テーマの中にも多くの興味深い事実が隠れており、それはおそらく普遍につながっているとも思える。その分だけ私は前向きにいろいろなことを考えられると思う。



この本は読む人に厳しい本だとも思える。もっときちんと考えろ、丁寧に考えろ、って無言の圧力をかけてくる。でも、この本を読んでいると勇気もわいてくる。私たち科学者は、無意識に「多くの人が培ってきた力強い体系」を使いつつ研究をしているのだと言うことがわかる。



系統樹思考の世界』(三中信宏)asin:4061498495:
p.210のサルツブルグの引用部分。

哲学は、哲学者と呼ばれる一風変わった人々による深遠な学問的練習などではない。哲学は日々の文化的思想や行動の背後に潜んでいる仮定を考察するのである。我々が自らの文化から学んだ世界観は、ちょっとした仮定に支配されている。そのことに気づいている人はほとんどいない。哲学研究はこうした仮定を暴きだし、その正当性を検討することにある

なるほどー、って思った。

私の小学6年生の頃の将来の夢は哲学者になることだったのだ。哲学者にはなれそうもないけど、過去の多くの人達の哲学の研究で得られたものが、私の今までと今とこれからを支えてくれるのだと思う。