基礎科学はなぜ必要か?【追記あり】

http://nosumi.exblog.jp/10386076/#10386076_1

つまり、基礎研究は基礎研究として「こんなに面白い研究なのだから研究費下さい!」と言うべきなのではないかと思うようになったのです。

そう思う。


何より基礎研究に大切なのは「多様性」だと思います。
皆がプロジェクト研究に走ってしまったら多様性が無くなります。
自然界と同じように、多様性が無くなると、大きな環境変化に対応できないで皆討ち死に、ということが起こりそうな<気がします>。

面白い例えだなあ。基礎科学には、歴史の大きな流れみたいなのと同時に、個人の審美眼や価値観みたいなものが無視できないものだと思う。



科学者の日々の営みは、発見を求めて試行錯誤することであり、そういう意味では無駄も多い。
何年にも渡って気付かないでいることもありますし、でもそれは、誰かが「気づきなさい!」と命令してもどうにもならないパーソナルなことです。
ところが、時としてセレンディピティーが訪れ、ブレイクスルーにつながります。
進化と同様に予測不可能です。

今の政策って、「気づきなさい」と言ってお金で縛っている気がしてならない。セレンディピティーが生じる環境を作るのが大事だと思う。でも、その環境はどういうふうに形成されるのかは難しいところ。

基礎科学の予算は、単に昨年度よりもどれだけ伸びるか(減るか)で考えられるべきではありません。
今、どれだけの研究者がいるのか(大学院生の数も増やしましたし、ポスドクも増えました)、一人当たりどのくらいの予算配分が為されるべきなのか、その点をきちんと積み上げるべきなのだと思います。

正論。こういう正論がなんで通らないんだろうか。

もう一つ、とくに大学においては、次世代の科学者を育てるということも同時に行っていることを無視するべきではありません。
研究者は研究という行為を行うことを通じてon the job trainingする必要があり、そのためには某かの研究費が必要となります。

これも正論だと思う。敢えて、わざわざ、文科省の官僚に、こういうことを説明しないといけないのか、って感じもする。説明しても分かってもらえないかもしれないけど。




科学政策をまともにするには、やっぱり科学者が団結して圧力団体を作らないと駄目な気がする。