博士はなぜ余るか? 日本の科学技術政策の10年に関する覚え書き

http://skasuga.talktank.net/diary/archives/55.html
凄い面白い。

結局のところ、産業界は科学技術立国という問題関心に政府と官僚が興味を示し、それなりの予算措置を行ったことに安心していた。政界官界は産業界からの要請にも応え、またアメリカからのガイアツにも対応できたことに満足していた。一方、大学業界は(吉川弘之氏のような重鎮は別であろうが)わけも判らず予算が増やされたので喜んで使ってしまったわけである(確かに私も母親に買ってこいと言われたものを忘れたとき、自分の食べたいものを買って帰るが、それとおんなじようなものだろうか)。結局のところ、産官学連携という掛け声に反して、これらの三者は伝言ゲームも満足にできない関係しか築いていなかったのであろう。

あーやっぱり・・・。

 私にとって、そうしたことが明確になってきたのは(うかつにも)ちょうど2000年ごろのことである。科学技術基本法では「科学技術基本計画」という懐かしの五カ年計画を(今どき)定めることになっていて、それの第一回が2000年で終了したわけである。この時、文部省改め文部科学賞は誇らしげに発表したものである。「第一次科学技術基本計画は研究投資の数値目標である十七兆円を達成して、成功を収めました」。…買い物競走かいっ!!つまるところ、科学技術基本計画の根本は予算規模で欧米に追いつくというものでしかなく、その予算措置によってなにかを目指すという枠組みは提供していなかったのである。

「第一次科学技術基本計画は研究投資の数値目標である十七兆円を達成して、成功を収めました」ですか。

ぎゃー。馬鹿すぎる!読んでいて悶絶してしまいました。



私の小さい頃からの問題意識。形の中身の問題。

中身を大事だと思う人だと、私はなんとか接点を持つことができる。外見だけしか重要視しない人間はどうしても好きになれない。

「予算がとれれば、研究の中身なんてどうでもいい」なんて人間を好きになることが出来るわけがない。