「ハイチは我々にとって何か?(2)」(「私の闇の奥」2010/02/24)

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/02/post_255f.html

 独立革命に成功した一番目の国は、1776年7月4日に独立を宣言したアメリカ合州国です。しかし、革命の中身が違います。奴隷制を廃止し、あらゆる皮膚の色の、あらゆる人々に自由と市民権を与えた最初の国はハイチであったのです。

そうなんだ。知りませんでした。

 私が、上に、アメリカ独立宣言を少し詳しく紹介したのは、この点を強調したかったからです。もう一度、引用した独立宣言の冒頭の部分を読んで下さい。その“すべての人間”の中には、黒人奴隷と先住民(インディアン)は含まれていなかったことも再確認して下さい。

それは確かに。

この麗々しい独立宣言の文面に忠実であるとすれば、サン・ドマングの黒人たちこそ、圧政に反抗して自分たちの政府を創設するに最もふさわしい人間集団(people)であったのですから、アメリカは双手をあげて、この独立革命に賛同し、それを支持し、新しく生まれた共和国を直ちに承認すべきであったと言えます。

確かに、論理的にはそうだと思う。でも、アメリカはそうしないわけか。

実際、歴史的記録によると、初代大統領ワシントン、第二代大統領アダムスまでは、黒人奴隷の大反乱という事態が甚だ好ましくないと思いながらも、その独立革命の意義は認めざるをえず、対ハイチ政策にもどこか及び腰の気味があったのですが、独立宣言の執筆者であるジェファソンが、1801年、第三代大統領に就任すると、ハイチを危険国家と認識する政策を明確に打ち出して来ます。それから200年間、アメリカによる過酷極まりないハイチ共和国いじめが今日まで続いているわけです。

そして、地震か・・・。


ここ200年くらいの、中南米の歴史に関してちょっと興味が出てきてしまった。まあ、優先順位的にあんまり高くならないんだけど・・・。他にも学ばなければいけないことがあるし。