おもちゃとか遊びとか

「おもちゃ」とか「遊び」とか、どういう意味合いで私はその言葉を使うかな?

役に立つ立たないとかはひとまずおいといて、人間をとっても熱中させる・集中させる・駆動させる・掻き立てる性質くらいは備えていると思う。興味がない人にとっては、ガラクタでありゴミであり浪費であり無駄である。

おもちゃであれ、遊びであれ何らかのルールがある。自由にできるものと、自由にできないパラメータがある。物理法則と、人間の思考能力によりおもちゃや遊びは限定される。いくつかのおもちゃや遊びに習熟すると、新しいおもちゃや新しい遊びを考えることができるようになる。


新しい何かを見つけるためには、おもちゃや遊びを経由しないでも近づける場合もある。しかし、おもちゃや遊びがあるから思っても見なかった新しいものにアクセスできるような場合もあるかもしれない。


おもちゃや遊びにはコストがかかる。そして、何にも新しいものを見つけられない場合もあるし、見つけた新しいものに対して過剰にコストを必要とすることがある。だから、何でもかんでも遊びやおもちゃを経由しようとするのはおかしい。

おもちゃや遊びの良いところは、ある種の才能を持つ人達の心を惹きつけ、惹きつけた人達の能力を最大限とは言わなくてもかなり引き出すことができる点だと思う。

悪い面としては、別のところで働けばそれなりにすごいことをしたであろう人達が、おもちゃを知ってしまったために何にも成果を出さないまま人生を終えてしまうこともあるだろう。

5年10年20年程度先に社会の中で役に立つような研究だけをする・・・なんてことができるわけないし、無理矢理しようとするとゆがみが生じる。制度的にそういうふうにしても、人は裏でこそこそおもちゃで遊ぶに違いない。

近い将来に役に立つ研究に優先的にお金を出すのは大事なこと。でも、とりあえず、種をたくさん蒔いてみるというのも大事だよね、って話に結局なるかな。結論はいつもと同じ。定量化というか、もうちょっとシステムとして機能するためにはどうすればいいかを考えないとこの話はほとんど無意味だな。