「[creationism][evolutionism]起源をめぐる論争。」のコメント欄 (『リリカの仮綴じ〆』の2003年11月22日)

http://d.hatena.ne.jp/Ririka/comment?date=20031122#c
面白いところを抜き出してみます。
(←残念ながら、上記リンク先は現在は存在しません。Internet Archiveで探せるかもしれないですが。)

sivad 『論理としての創造論は基本的に無敵です。そういうふうに創られたといえば終わりですから。記憶とともに一秒前に世界が創られたといっても破綻はしません。というよりそもそも進化論と創造論を対立させるのが間違いでしょうね(原理主義となら闘えるかもしれませんけど)。切り分けるのが正解です。定義上人間の理解が及ばない存在が神である以上、人間の理解から生まれる科学との接点は無いと思います。 /進化論は変化論って認識は正しいと思います。』

Ririka 『「無敵」>吹っ切れた。・ ・ ・ ・ チョトだけカルイゼツボウ ・ ・ ・ ・ おかげで残る人生の3%くらいを無駄にせずに済んだからいいや。』

sivad 『>ゼツボウ/ただ、割り切ってしまえば共存も可能です。神が創造したからといって、そこにメカニズムが無いわけじゃなかろうってことで科学は成立するし、逆にあまりにも精妙なメカニズムを目の当たりにして神を感じる、ということもありますね。』

Ririka 『共存はずっとしてきてるわけですよね、そんなふうに各人「神」をいろいろに解釈(かな)することで。ただ信仰の場合は、科学のメカニズムとは切れてるわけで、そこに思考の停止と飛躍がある(と、非信仰者は想像します)。ゼツボウは、こちらからはその飛躍をたどる糸がないんだなぁってこと。で、もうすこしましな方法考えます。浮いた3パーセントをつかって。』

少々文章いじっています。太字にしたり、冗長な所を変えたり。


神によってもたらされた、と考えられていたものの多くは、現代の科学で説明できてしまう。でも、「人間の理解が及ばない存在が神」であるならば、人間が神性を感じる対象の量は増えているのではないだろうか?って思ったり。今まで神性が存在すると思っていなかったところに神性を感じたりとかね。