その24 「何でそういう嫌な見方をするの?!」

27歳未満は読んでは駄目。


27歳未満は読んでは駄目です。





私はどうしようもないほど、私なんだ。
逃げも隠れもできない。
それに気がつくことが孤独かもしれないって思う。


そして、他者も同じなのだろう、って思う。
近くで安らかに眠っている人を見ながらそう思った。
孤独なのに孤独じゃない。
とてつもなく寂しく、それと同時に寂しくない。


・・・


他人を羨ましいと思うことがある。
他人の境遇が羨ましいとか。
他人の才能が羨ましいとか。
羨ましいものはたくさんある。


でも、・・・でも。
私を使うことができるのは私だけで、
私を堪能できるのは私だけなのだ。


「幸福感の大きさ」が「微分の大きさ」であるならば、
私は私なりに幸福を感じることができる。


・・・


私は、私の生に意味があると思いたかった。


では、意味があるとは?
自分にとって意味があるのは当たり前。
それ以外の人にとって意味があって欲しいのだと思う。



継承とかに拘るのはそういうことだと思う。
「私の生きる軌跡が他者にとって意味あるものであって欲しい」なんて何故願うのだろうか。


・・・


私は、小さいころから、他者が望むような価値を自分が持っているとは思えなかった。

他者にとって、私はおぞましくて汚らわしいものであるのだと想定していた。
つまらない駄目なやつだと思われていると思っていた。そういうふうにあきらめていた。

・・・


私には生死の壁を越えるだけの死ぬ理由がなかったから生きていた。
生物だから生きるようにできているのだし。


・・・


そんな私にもいろいろな出会いがある。人でも、物でも、事でも、なんでもいいのだけど。
私の心をたいへん揺り動かす対象があった。そういうのに、駆動されることもある。


・・・

何とか騙し騙し、破綻だらけの矛盾だらけの、嘘だらけの、綻びだらけの、自分を宥め賺して誤魔化して進んできたのだ。


・・・・


もう、すでに、多くの借りが随所にあって、
返しきれないくらいあって、ノタノタと借りを返しつつ、
さらに多くの借りを作りながら生きていくしかないのかと思う。


こんな生から脱却できるのだろうか。


・・・



私は、
 何で、
  こんな、
 嫌な、
見方を、 するの!

悔しい。とっても悔しい。本当に悔しい。
悔しくてたまらない。
ものすごい苛立ちを覚える。
むかつく。



安易に自分を赦している。
本当にむかつく。


「ふーん、本当なんだ」って、私を構成する要素がいきなり現れて厭らしく言う。


「本当なら、自分を変えてみればいいんだ。"本当に"ただそれだけのことじゃない?」って厭らしく言う。


そんなに簡単に変えられるのなら苦労はないって。
「じゃぁ、それは、あなたのは"本当"じゃなかったんだね」って憎たらしい口調での言う。


悔しい。こんな実態のないものすら、未だ超えられない。
私は、この要素を超えないといけない。

こんな要素に私のことをいいように言われるなんて真っ平だ。