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p.445
沙子(すなこ)の台詞。
「でも、人間なら誰だって、神様に見放されているって感じは分かると思うわ」
ここの時点で出てくる言葉なのですね。
p.509
ステンドグラスの内容が暗示的
中の一人は刀を振り上げた侍とおぼしき姿をしていて、その前には合掌し仰向いた農民ふうの男が膝をついている。その脇には首を落とされて倒れた骸が、かろうじて首の断面を見せて納まっている。
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p.148
沙子の台詞。
「室井さんに大切な誰かがいたとして、その人を自分の望むだけ生かしたいと思ったら、どうすればいいか分かる?」
はいはい、もうここらへんでゾクゾクしました。ここらへんから面白くなってきたのですよ。
次の沙子の台詞も良いのですよ。
「・・・・・・可愛いと可哀想って似てない?」
それ以後の静信(せいしん)とのやり取りもとっても良いのです。
p.213の静信の考えていることに関する記述。
信仰は心の拠り所となるもの、人の心に安寧をもたらすものではないのか。それが人を隔て、人を排斥する大義名分になることに―それを誰も疑問に思いも恥もしないことに静信はいたたまれない思いがする。
内側に向けては穏やかに笑い、慈愛すら示しながら、外側に向けては冷淡で残酷な振る舞いをする。その二面性に寒々しいものを感じる。それとも、こういうところで躓くのは、自分だけなのだろうか。
ここらへんがけっこう大きなテーマに繋がっていたりする。
p.343
沙子(すなこ)の台詞
「気持ちがすれ違ってしまってるのね。ううん、尾崎の先生は、状況に焦って気持ちが閉じているんだわ。だから室井さんが通信を送っているのに、それを受け取ることができないの。室井さんはそれが切ないのね? 自分の気持ちが通じないというより、相手が心を開いてくれないと、通信を送っても受け取ってもらえないのが切ないんだわ。人間はそんなふうに孤立してるの。それがたまらない―――違う?」
そういうものだと思っていても、自分自身のことだとなかなか気が付かないし、そのような切ない状況を予防するのもなかなか難しいのだと思う。
そして、
「人間は孤立してるのね。真の意味で他者と理解し合うことはできないの。わかったようなつもりにはなれても、お互いに言葉で分かってるねって確認をし合っても、本当に理解できているのか、真実はわからない。理解や共感を求めて他と接触するくせに、そんなものは全部、幻想でしかないの。それってとっても切ないことだわ」
こういうのに気が付いたのって何歳くらいかな?って思ったり。それが前提。それがスタート地点であると認めれば、案外希望が出てくるかもね。
p.345
「そう。異端者の話よね。カインって異端者でしょ? 何て言うのかしら―――理不尽に区別されたもの」
あっ、なるほど。聖書のその話を聞いたときにはそれには気が付かなかった。
p.346
「カインにしたら、どうして自分が神様に拒絶されるのか分からなかったと思うわ」
この理由らしきものというか一つの解釈が小説内小説で、後のほうででてきて、それがたいへんおもいしろい。
p.349
問題は、静信には「神様に見放された」という自覚がないことだった。
では、静信が「神様に見放された」もの達を書く理由はなんなのか。それも後で明かされる謎の一つで、この謎もたいへん面白かった。信仰とか神とか価値観とかそういうキーワードが関係する。
p.353の最後(第二部7章の最後)の小説内小説部分も印象的。
p.449あたりの敏夫による、静信の評価もゾクゾクする。
p.452の静信の台詞。
「そう、腹が立つんだよ。どうしてそんなことをするんだ、と思う。自分に怒る権利がないことは分かってる。けれども無視できない。結果として相手を責めて、責めた自分に嫌気が差すんだ・・・・・・」
こういうのが面白いな、って思うことの一つ。