伴侶としての物理学者

リリカの仮綴じ〆の2003-12-05にこんな記述がある。
http://web.archive.org/web/20040619042945/d.hatena.ne.jp/Ririka/200312

でも(話はめちゃ飛ぶ)、生涯の伴侶を探すなら数学者より物理学者だなぁ。きゃ。わたしの知ってる物理の人がみんな(女性にとって)理想的な性質と性格をしてるのは偶然とはおもえない。ファインマンさんがすっごい愛妻家だったように。それがチャイティンさんときたら、「正常な人間、健康な人間、良き父、良き夫、集団の良き成員、これは素晴らしい人間ですが、数学には邪魔」とはっきり言ってる。誇張はあるだろうけど。


どうでしょう?
「わたしの知ってる物理の人がみんな(女性にとって)理想的な性質と性格をしてるのは偶然とはおもえない。」というのは、たぶん幸運な偶然だと思う。
まあ、それはともかく。


『ほかほかのパン―物理学者のいた街〈2〉』(太田浩一)ISBN:9784130636032と、こんな記述がある。
p.iv

先に触れたアムステルフェーンの友人は、離婚後、新聞広告でパートナーを探した。その中に「私の悩みをやさしく聞いてくれる人募集。ただし物理学者だけはだめよ」という広告を見つけた。その広告を見せてもらったとき複雑な気持ちになった。物理学者は血も涙もない人間と思われているのだろう。本シリーズの目的は、名前でしか知らない遠い存在の物理学者や数学者を、血も涙もある友人のように、身近に感じられるようにすることである。

物理学者にも、一応血肉が通っています。その亜種である物理学研究者を町で見かけても石を投げたりして虐めないであげてください。