『食のリスク学―氾濫する「安全・安心」をよみとく視点』(中西準子)の感想2

食のリスク学―氾濫する「安全・安心」をよみとく視点

食のリスク学―氾濫する「安全・安心」をよみとく視点

感想の続きです。


第一章では「食の安全とリスク」「安全とお金」に関して記述されています。冒頭に、食の安全というのは、命に関わる問題だとしても、無制限にこればかりにリソースを投資するべきではない、という趣旨のことが書かれています。


p.2にこんな事がかいてあります。

まず、「安全」の領域を決めることができるか、ということから考えてみましょう。

私たち日本人の寿命は、この一00年くらいの間に倍くらいに伸びています。

  • 人類史における快挙と言っても過言ではないと思う。原因についてはここでは書かれていません。公衆衛生、栄養状態、医療など総合的な理由によるかもしれませんね。幼児死亡率に関することも多少気にはなります。


p.3

平均寿命は社会全体の安全の度合いを示していますから、日本は時代とともにますます安全になってきているのですが、多くの人は今でも安全と思っていないようです。

  • 不安を煽るような宣伝広告は多いかもしれません。環境・教育・健康などなど。
  • そもそも安全って何だろう?その概念・定義は?ってことになります。
  • 安全というものは相対的なもの、つまり時代・人・国などによると本書では主張しています。
  • 我々は安全をしばしば犠牲にする、とも言っています。安全と利益のトレードオフみたいなことをしていると言う主張が出てきます。
  • p.4 中国製の餃子の問題があったけど、結局今では問題が起こる前の9割くらいになっているらしい。
  • p.5には安全の種類に関しての言及があります。薬・交通手段・医療・食・防災・(ローカルおよびグローバルな)環境の安全などをあげています。他にも犯罪からの安全とかもあるのかもしれません。精神面での安全や、戦争からの安全もあるかもしれません。きっと人の寿命を短くする原因となるものは安全と何らかの関わりがあるのでしょう。
  • そして、各種の安全の中でどれか大事かを考えなければいけなくなります。

食の安全だけか非常に特殊な問題だと考えること自体がおかしく、安全問題全体のなかでの位置づけをきちんと考えていったらいいと私は考えています。


「安全を社会政策の目標にする場合には、個人の安全問題とは異なる考えが必要」という視点が出されます。そのためには、「危害をはっきりさせることが必要」とあります。そして「「安全」とは相対的な概念」なので、大きさを示す何らかの指標が必要になると言っています。

p.6

個人の問題であれば、なんとなくでもいいのでしょうが、社会政策の場合にはそうはいきません。安全を表す実体のある量は必ずしも数字でなくてもいいけれど、それを広く社会全体に明らかにする必要があります。

さらにこのように続きます。

「安全」がどの程度達成されたかということの尺度がなければ、政策の是非を検討できません。安全対策をとるかどうかから始まって、それを実行した際、効果が上がったのかどうかを点検する意味でも、安全の指標がなくてはいけません。つまり「安全」をどういう指標で評価していくかが問題なのです。

この部分はとってもすごい問題提起というか、問題解決のための初めの一歩と言うべき提案なのではないかと思います。

そして、このような考え方は科学的だなって思いました。問題の定義、そして指標の必要性など。

本書の部分では安全がキーワードですが、ここの「安全」にはいろいろな言葉を入れ替えても良いのでしょう。例えば、教育です。国防という言葉も入れることができるでしょう。

教育に関しても、国防に関しても現時点ではこのような数値化がとてもお粗末な気がするのです。もちろん、私の勉強不足の問題でもあるのですが。



p.6から安全に加えリスクという言葉が出てきます。リスクという概念を用いた方が「安全という言葉」を使うよりも問題を議論しやすくなると言うことが書いてあります。



p.7

今でも、本当に事故や有害性が問題になっているような所では、リスクという言葉はやはり使われていません。


隠すことにより、誰かが損をして誰かが得をする。でも、隠れた・隠されたリスクを明示化していくことが、市民というか国民と言うかの利益になると私は思います。

p.10では、図が出てきます。縦軸を重篤度、横軸を生起確率(risk)とした図です。

図や図の説明は本を見ればよいので知らない人は見ると良いでしょう。とってもシンプルな概念。そして、多くの人はきっと日常的に、そうお小遣いをどう使うか、家計のやりくりをどうするか、などを考える時に使っている。でも、何故か政策を考慮するときにはなかなか使われない概念。

とは言うものの、実際のリスクを考える時はすごい大変だと思う。でも、この図を作ろうって事がやっぱり全ての始まりに思える。こういう概念図なしに考えようとするのは大変難しいことだと思う。


p.11

こういう図を見ながら、自分たちは何を下げようとしているのか、何を避けようとしているのかということをはっきりさせる。そして、一定の対策をとったときにそれが本当に削減されているかどうかをチェックできる。これが社会の政策として、安全問題を取り扱っていくときにとても重要なのです。

当たり前に思えるかもしれない図。でも、これをみんなが使いこなせるようになればいろいろ良い事があるはず。使いこなすとまではいかなくても、おぼろげにこの図の概念をつかんでおくことにより、いろいろきちんと考察できるようになる。

安全と危険の二項対立の概念から、どれくらいその危険が生じるかな?って一次元上の話になり、さらにその危険はどれくらい驚異となるだろう?って二次元の話になる。さらに次元を増やすこともできる。お金次元とかね。まあ、これはちょっと余談。




そしてリスクトレードオフの概念が説明されています。そしてこんな事も書いてあります。
p.12

一つのリスクを減らしたらそれで万々歳ということはほどんどなく、どこかで何か別のリスクを生じていることが多いのです。そういうことをきちっと見極めなければなりません。

多数のパラメータがあることの決断をしなくてはいけないというのは大変な事。でも、そういうことを考慮に入れて考えていけない時代なのだと思います。それは、良い見方をすれば、そういうことに考慮することができる余裕ができたとも言えます。別の言い方をすれば、こういう事に考慮しないのはお金をどぶに捨てているのと一緒だと言うことでしょうね。お金に関しての話は、もうちょっと後で出てきます。



・・・

なんというかまだ全然進んでいないのに長くなってしまった。また気が向いたときに書きます。


まあ、何はともあれ、この本は、わかりやすくかつ、科学的な確かさを犠牲にしていないとっても良い本だと思います。とてもエレガントだから、こういう考え方にたどり着くのに、どれだけ大変だったのか、というのがわかりづらくなってしまうほど。そして、この考え方を元にいろいろリスクを考えていくことの大変さを感じ取るのも難しいかもしれない。リスクを考えるのは大変で辛いことも多いと思うけど、逆に面白かったり楽しかったりする側面があるって事を読者の何割くらいが受け取るだろう?