『進化思考の世界』(三中信宏)の感想

進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか (NHKブックス)

進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか (NHKブックス)

ずいぶん前にTwitterに書いたインプレッションの羅列をまとめておきます。
http://twilog.org/fujisawamasashi/date-101113
http://twilog.org/fujisawamasashi/date-101114
http://twilog.org/fujisawamasashi/date-101115
あんまり関係ないことも混じっていますが、付随して考えたことでもあるので一緒に載せておきます。

  • とりあえず、第1章まで読んだ。とても読みやすい。ナチュラル・ヒストリーという言葉はいままで何回か聞いた事があるけど、こういう意味だったのか、というのはちょっと意外だった。ヒストリーという言葉には、もともと「記載」という意味しかない、とのこと。ナチュラル・ヒストリー(博物学)は、「自然史」であり、「自然誌」でもある。そして、ダーウィンの頃の博物学ブーム(?)に触れている。科学コミュニケーションが重要と言われるけど、この頃の話が何かヒントになるかもしれないな−、とちょっと思った。そして、科学史の表舞台には現れない当時の女性の活躍にも触れられている。読むと、科学者と科学者ではない人、というような分類は厳密にはできず、それらは連続的につながっているのだな、とわかる。
  • では、第2章へ。
  • 「理解するとはどういう事か?」は、私のメタ研究テーマの一つ。
  • 新しい(科学)知識が産み出される現場にいることの重要性みたいなもの。新しい知識が妥当であるかどうかを検討する訓練ができること。的を外してはいない妥当とされた知識が、精錬・洗練されていくプロセスみたいな物を肌で感じること。
  • 第2章まで読んだ。

p.59

「ヘッケルの天賦の画才は「系統樹」という図形言語を編み出した」

  • とある。系統樹の絵を使うことなく、言葉だけであれを示せと言われると難しい。なんとか説明できたとしても、あれほどのインパクトを与えられない。科学における図形言語か・・・。

p.65

現在の評価を振りかざすことで過去の所業を断罪してもまったく生産的ではない。むしろ、どのような社会的・文化的背景があって、そのような事態が生じたのかを考える方が教訓的だろう

  • とある。確かに。でも、私はそれ(断罪)を行いがちかな。
  • 宮沢賢治がヘッケルについて言及しているのか。記憶術と分類に関しても意外な繋がり。

p.87

体系化の形式が等しく「収斂」しているように見える事実

  • こういうの面白い。
  • 物理の勉強をしていて、何回も躓いたと思う。近似で何回も躓いた。変数分離の考え方も、最初受け入れるのにかなり抵抗があった。それらの考えがすんなりと受け入れられるためには、歴史的にも時間がかかったんじゃないのかなあ。どういうプロセスを経て、そういう知識が正当化されていったのかな。
  • 『過去を復元する 最節約原理,進化論,推論』(エリオット・ソーバー)の序言にアインシュタインからの引用がある。

ある概念は、ひとたびそれが事物の体系化に役立つことが認められると、いとも簡単にわれわれの上に権威として君臨し、その結果,われわれはもともとその概念がどこから由来したかを忘れてしまい,不変不朽の事実として受け入れてしまう. そして,その概念は「概念的必然」とか「先験的状況」などとレッテルを貼られるようになる.科学的進歩の道程は,しばしばこのような誤りによって長期間にわたってさえぎられてきた。

  • とある。こういうことをアインシュタインが言うと、説得力がすごいある。さらに次のように言っている。

したがって,身近な概念を分析する能力を鍛え,それらの概念が正当され有効であるための条件を示し,経験的データからそれらが次第に確立されてきた過程をたどることは決して無駄なことではない.そうすれば,概念にまとわりつく不要な権威性は剥ぎ取られる

  • とのこと。長々と引用してしまったけど、言いたいことは何が役に立つとか何が役に立たないとかは短期的には言えるかもしれないけど、長期的にはよく分からないことが多いって事かな。
  • 学生の人に、「これは〜で役に立ちます」と言ってしまう事が多い。でも、「短期的に役に立つ」ことばかり大学とかで教えていては駄目だろうとも思う。何の役にたつか現時点の知識で分からないことも、理解しようと思う事には意味がある場合が多いだろう。
  • 一つの「〜学」とされた物の考え方の詳細を追っていくことは、それがすぐに役に立つことではなく、短期的には効率が悪そうに見えても、大事な事ではないのかな。特に、大学などは、そういうふうにゆっくり時間をかけて学ぶことを赦された場であり、学生はそれをすることを期待された身分なのだと思う。
  • 学生や大学にかけた投資が、少なくとも今まではプラスになって社会に還元されてきたのではないだろうか。安易な予想かもしれないけど。
  • 「役に立つ」という言葉を、どういう意味合いで言ったんだろう?って疑問に思う事が多いから、こんなぐだぐだ書いてしまったのかな。
  • 取りあえず、4章まで読んだよ。以前の本に書いてあったような内容に関してやっぱり興味を持ってしまうな。
  • 『進化思考の世界』第6章まで。第6章「4 科学哲学−進化思考から見た科学方法論と科学論」は全部良い。特に、

p.225

個別科学とその系譜はそもそも本質主義的な定義ができない概念進化的な実体であると考えると、科学を論じるもう一つの新しいスタンスを築くことができるかもしれない」

  • とかが面白い。
  • 読了。p.237「進化思考とは何か」の所とか面白い。分類思考と進化思考に関して。「認知心理的な意味での本質主義」とかは『分類思考の世界』を読んだときにも面白いって感じたことの一つ。全体を通して、進化思考が何を取り扱いたいのかについては少し理解できたかな。
  • 『過去を復元する』(E・ソーバー)は、第1章だけ読んで躓いていた(二回目の挫折。一回目の挫折は院生の時で、蒼樹書房版を大学図書館で借りた。)のだが、『進化思考の世界』(三中信宏)を読んだ勢いで読めるような気がしてきた。直近で読んだ本の影響か、「プロセス」という言葉が気になる。
  • ちなみに、こういう本を読んで私の研究に役にたつか?と言われるとすぐには役に立たないし、いつ役にたつとも言えない。読むと、安定だと思っていた土台が、不安定だと言う事に気がついたりする。でも、へんな言い方だけど、不安定だと言う事がわかると、逆に安心できたりする。
  • アインシュタインとかニュートンとかの、思考プロセスを私はほとんど知らないんだな、って思う。新しい物理学を作った哲学(研究の方法論という意味合い)というか、新しい物理を作ることにより彼らに形成された哲学について、私は無知で有ることに気がついた。『部分と全体』(W. ハイゼンベルグ)とか『ボルツマンの原子』(デヴィッド・リンドリー)とかを読んでいるときに感じるこの感動は何なのだろう、って思ったりする。
  • 「新しい物理学を作った哲学(研究の方法論という意味合い)というか、」と書きましたが、「というか」は「及び」に近いかな。新しい物理形成前の哲学(信念)&形成後の哲学という意図で、書きました。


以上が去年の11月の感想。そして『過去を復元する』(ソーバー)を読もうと思ったのだと思う。