ISBN:9784326101948
「第4章 分岐学:仮説演繹主義の限界」の感想
p.143
以下の議論で、読者は次の単純な区別を常にはっきりつけてほしい。それは、ある論証の論理を批判することと、それから得られる結論を批判することは全くの別問題であることである。
科学自身と同じく、科学に関する方法論の議論では、たとえ欠点があると判明した理論であってもわれわれの理解を深めることがある。
ここらへんも面白いと思います。
「4.1 生まれ出る問題」
p.145でR. A. Fisherの名前がちょこっと出てくる。
『統計学を拓いた異才たち』(デイヴィッド・サルツブルグ)にいろいろ書いてあったことを思いだした。
- 作者: デイヴィッド・サルツブルグ,竹内惠行、熊谷悦生
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2010/04/01
- メディア: 文庫
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私の感想は下記。
http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20110622/p2
ロナルド・フィッシャー(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
「4.2 反証可能性」
Karl Popperの名前が出てくる。
p.155
反証(falsification)とかアドホック性(adhocness)という言葉が出てくる。
p.156
それは、分岐学的最節約性を含むあらゆる方法が適用される前に形質は重みづけられなければならないという規範である。
最節約法それ自体は重み付けをどうすべきかについては何も言っていない。
ここらへんも面白いな。そのまま受け取ってはいけないかもしれないけど。
p.158-159
ここでは「反証」(falsify)とか「実証」(verify)という言葉は捨てるべきだろう。そういう言葉を使うと、実際には損愛しない演繹的関係があるかのような誤解を招くからである。それらの言葉のかわりに「支持する」(confirm)「支持しない」(disconfirm)を用い、仮説の評価は相対的な作業である理解できれば、ある対立仮説が支持されるか支持されないかで迷うことは何もない。
こういうのも面白いですね。
反証可能性という言葉が適用できるような科学分野もあるかもしれないけど、それができない分野もあるのだな。
「4.3 証明能力」
特に思ったことはないかな。
「4.4 仮定最小化と最小性仮定」
特に思ったことはないかな。
「4.5 安定性」
特に思ったことはないかな。
「4.6 観察と仮説の区別」
ここが面白いです。
「アインシュタインの同時性」とかの話もでてきて物理を学んできた身としては嬉しいですね。
p.177
「観察」と「理論」とのちがいにこだわるのは、いまではもう時代遅れである。理論中立的な観察言語が存在し得ないこと、すなわち、すべての観察には必ずたくさんの理論的過程が付随することをわれわれは学んできたはずである。
こういうのは面白い。
p.178
哲学の流行は、すでに述べたように、極端から極端へ移ってきた。
どうしてそのようになるのだろうか?
第4章の感想はこれくらいかな。
- 第5章はあんまりちゃんと読めませんでしたが、p.220からの「5.5 悪魔と信頼性」の最初の方は面白かった。
- 第6章はp.283あたりのまとめが面白いなって思った。
- 「訳者あとがき」「訳者解説」は、またこれが濃いですけどなかなか面白いです。たぶん、ここだけ読んでも楽しめる。
- ・・・というわけで、とりあえず、これで読むのは終わりです。4〜6章はきちんと読んだとは言いがたい。面白そうなところをつまみ食いした感じ。また、何か機会があったら読むこともあるかもしれません。でも専門ではないし、あんまり読まないかも。なかなか読むのはきつかったけど、面白かったです。
- 読んで良かったと思ったのは、哲学と科学とがお互いに影響を与えあっていると言うこと。
- 読みながら、自分の知っている研究分野との同じ所や違うところはどこだろう?って考えていた。
- 私に近しい研究分野では、あまり哲学的な議論はなされない気がする。
- 今も物理学のある分野では哲学的な議論が成されているのだとは思うけど。統計力学や、量子力学ができつつあるころのエピソードとかを見ると、哲学的な議論がなされていたようではある。
- 私に近しい研究分野でも、単純性みたいなのは重要視される。または、モデルのパラメータが多くなりすぎる解析は忌避されやすい。説得力を持った説明・解釈は望まれるし、矛盾があるのはあまり好ましくない。
- 私たちが、単純って言葉を使うときに、その背後に単純ではない複雑なものが控えているというのは、当たり前の事なのかもしれないけど、大事な事なのだと思う。
- 新しい考えに触れることができたし、私がぼんやり考えていたことをきちんと論じているものもあって、よかったかな。