自分の素質や資質を信じてがむしゃらにもがいてみたらきっと何かつかめるよ

私は、学部生の頃、何を勉強してよいのか、どうやって勉強していいのか、よくわからなかった。先生や先輩や友人に聞くとかできたはずなのにできなかった。

大学院に入り、指導教官や先輩・後輩、その他共同研究者と研究を進めていく過程で、研究の姿勢とか、学び方とか私なりに分かってきた気がした。

就職してからは、自分の研究という要素だけではなくて、学生の指導をするという要素が増えて来る。そして、彼ら・彼女らにどういうふうに接すればよいのかな?って考える機会が増えてくる。

私が、学生時代の頃に、欲しかったもの、を与えることになる。なってしまう。それは、たぶん、遠大な目的ではなくて、目先の目的だと思う。遠大な目的は指導教官が示唆を与えてくれたりする。彼・彼女らの目的を達成するために必要な小目的を示唆できれば良いのではないかと思った。

でも、これが全面的に正しいと思っているわけではない。研究者の能力とは、混沌とした世界から「目的・方法」を自らの力で抉り出すことだと思う。教えすぎてしまうことは、混沌とした世界から何かを掴み取るという力を身に着けることを阻害するとも思える。

噛み砕きやすそうな餌とか噛みにくそうな餌とかをいろいろばら撒いてみることになる。

私が論文を読むときも、学生にどういう形で課題を与えようか?という要素や、論文にするためには何が必要だろうか?っていうことをたくさん考えるようになった。でも、別に頭の性能はたいしてよくなっているわけではないので、一つの論文を読むのも時間ばかりかかる。

自転車の後ろを支えてあげて、進ませている気分。まぁ、私自身も今は押してもらっている立場かもしれない