「どんなことを書く?」 (『にびねこらむ』 No. 2) の続き。
こんなコラム(?)を読んでいないで、身体を動かして何かしたが良い。何かを作る体験や、外に遊びにいく体験。そういうのができる時間は限られている。ネット上によくある比較的どうでも良い文章を読んでいる時間なんてもったいない。
人は文章を読むときに、自分にとって価値がある新しい情報が含まれていると期待して読むものだと思う。普通の書き手は、興味を引くような情報を、興味を引くような構成にすると思う。わたしは、頭の中で湧き出てくる文を、頭から外に取り出して、頭の負荷を下げようと思って書いていることが多い。たまたま取り出されたものが、読み手に価値がある可能性は低いだろう。読み易くもないはず。「気持ちをわかって欲しい」「どうしても伝えたいことがある」みたいな情熱が、『にびねこらむ』に含まれていないことは、わかると思う。
文章が読み手にとって、価値があるかないか関係なしに、文字列があると読んでしまう人達はいる。そういう人達は、この文章をここまで読んでしまったかもしれない。文章からの情報の入力は大事だけど、なんらかの出力もしておいた方が、人間には良い気がする。出力の形は文章じゃなくても良くて、なんらかの形になるもので良い。踊ったり、歌ったり、身体を動かすのでも良い。
文章を読むのが減った分、身体を動かして何かしたことは、わたしの場合は何かな。結婚してから、お菓子を作ることが増えた。美味しくできることもあるし、失敗することもある。買ってきたお菓子を食べるだけではわからない、多くのことを知ることができる。手芸でオフィスチェアのカバーを作ったり、ウサギのぬいぐるみを作ったりした。市販のぬいぐるみの縫製や毛並みなどが気になるようになった。ゲームで運動して、筋力がつき、柔軟性も良くなった。以前に比べて快適だ。身体を動かすことで多くのことに気が付ける。感度が良くなる。他の多くの人にとって、当たり前のことを、わたしは知らなかった。他にも、そういうのがたくさんあるのだと思う。そして、新しいことに挑戦し続けることで、新しいことを知り、自分の未熟さに気が付き、他者をより尊重できるようになる、とも考えた。
そして、また文章の世界に戻ってくることで、文章の中に潜んでいた今まで気が付けなかったことに、これからは気がつけるようになったかもしれない、ってちょっとだけ思ったのだった。
(次回更新は2024年8月5日)→ 「ヘリウムに関わる仕事」 (『にびねこらむ』 No. 4)